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谷崎潤一郎をコミックで読む

 イースト・プレスから刊行されている“まんがで読破”シリーズの、コミック版「痴人の愛」を読んでみました。

 “まんがで読破”は、世界の名作文学や難解な古典を気軽に読めるという事で、すでに130タイトル以上が刊行されている人気シリーズです。

 名作のコミカライズと言うと子供向けといったイメージがありますが、このシリーズは怪作や問題作にもスポットを当て、幅広い年齢層を対象にしたラインナップが好評を得ているようです。

 小説の場合、作者が構築した世界観や作品に込めた主題などをどれだけ読み取れるかは、読む側の知識や経験や想像力などによって違ってきます。 しかし、コミカライズの場合は漫画家の手によって作品のイメージが固定化されているため、それらをあまり必要としません。

 例えば文中に長火鉢が出てきた場合、長火鉢を知らなければ自分で調べるかあるいは適当に想像するしかありませんが、コミックの場合は漫画家が一つ一つ資料を元に視覚化してくれているわけです。 また、登場人物の性格や思考なども、ある程度簡略化する事でよりわかりやすく、感情移入しやすいように工夫がなされています。

 そういったところが、コミカライズ作品の読みやすさに繋がっているのだと思います。

 ただ、絵は多くの情報を視覚的に瞬時に伝える事ができますが、その情報量は漫画家の力量によって大きく左右されます。
また漫画には、セリフを簡潔にして説明的な部分はできるだけ絵で見せるという大原則があります。 そうした部分の取捨選択も漫画家の構成力やセンスに負うところが大きい訳です。

 さらに言えば、漫画家が小説家の描いた世界観を必ずしも正確に把握し、再現できているとは限りません。

  原作を先に読んで自分なりのイメージを持っていた場合などは、コミカライズの内容に違和感を覚える事があります。 文学や漫画を実写映画化した場合もまた同様です。

 それは原作者側の目線からも言えることで“視覚化されたものはオリジナルとは別物”と捉える作家が多いようです。

 ですからコミカライズは、様々な制限のある中で、原作を元に漫画家が創造した世界と考えるのが妥当なのではないでしょうか。

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 “まんがで読破”シリーズの「痴人の愛」はTeam バンミカスが構成と作画を担当しています。

  絵はハイコントラストのややレトロなタッチで、描き込みは少ない方です。 単純でスッキリとわかりやすい線である反面、キャラクターのアクが強く、好き嫌いがはっきりと分かれる絵だと思います。 谷崎の「痴人の愛」の作画に向いていたかどうかは意見の分かれるところでしょう。

 キャラクターの表情のひとつひとつは悪くはないのですが、その割にナオミの奔放で妖艶な魅力や、彼女を思い通りに操ることができない譲治の焦りや苦悩がいまいち伝わってきません。 絵に説得力が乏しいのかな…というのが僕の抱いた率直な感想でした。

 話の方は原作の持つエッセンスを巧みに抽出し、分かりやすく構成されていると思います。 作品のあらすじを理解するには十分ですが、それ以上でもそれ以下でもなく無難にまとまっている印象です。

 小説には自由に想像を巡らしたり、作家の文体や表現法を味わう、文学ならではの醍醐味があります。

 谷崎潤一郎の芸術とも称賛される美しい文章に触れるには、原作を読む以外ありません。
そう言った意味では、コミカライズは原作に興味を持つきっかけとしての役割を担えれば十分なのかもしれません。

 
 

 …などととても偉そうな事を書いていますが… 恥ずかしながら、僕がこの作家の偉大さに気づかされたのは実はごく最近の事です。

 「痴人の愛」に関しては、学生の頃に読みました。  山口百恵と三浦友和の共演で「春琴抄」が映画化され、話題になっていた時代と重なります。 映画版の「痴人の愛」もテレビで観た記憶がありますが、原作を読んだのとどちらが先だったかは、ハッキリしません。

 一貫してフェティシズムやマゾヒズムに主題をおいた作品を発表し続けた谷崎ですが、正直言って当時の僕は、氏の作品にさほど魅力を感じていませんでした。
 
 女性による肉体的受苦を渇望し、残酷で刺激的な拷問シーンを妄想していた僕にとって、谷崎潤一郎の描く、女性美に対する憧憬や精神的マゾヒズムは淡くて物足りなかったのだと思います。 代表作をいくつか手にとってみた記憶はあるのですが、特に印象に残った作品はありませんでした。

 ところがここ数年、ご主人様と主従関係を結び、マゾヒズムの精神性に目覚めるに至って、改めて谷崎潤一郎の作品と人となりに興味を抱くようになりました。

 そんな折、もう一冊、昨年の11月にめでたく刊行された谷崎潤一郎マンガアンソロジー「谷崎万華鏡」も、予約購入して読んでみたのでした。

 このシリーズは、文豪・谷崎の生誕130周年を記念して企画され、11名の漫画家&画家が谷崎文学の耽美な世界観を各自の感性で自由にマンガ表現したものです。

 11名の執筆陣の中で僕が名前を知っていたのは半数ほどでしたが、そんな事は全く気にならないほどそれぞれの個性が光っている作品集でした。

 その内容は原作のコミカライズだけに留まらず、作家論、オマージュ、オリジナル作品等々バラエティに富んでおり、全作品を読めば谷崎潤一郎の人物像や世界観の概要がある程度理解できる構成になっています。 それぞれの漫画家が谷崎の世界観を自由気ままに描いている分、僕にはオリジナルとのギャップはあまり気になりませんでした。

 この漫画シリーズは2015年5月から中央公論新社の特設サイトで公開が始まり、その後は月に一本のペースで新作が発表され、順調に回を重ねていきました。

 新作が発表されると、旧作は冒頭の4ページのみの公開となって全体が読めなくなります。

 僕が偶然この企画を知ったのは、シリーズの半ばを過ぎた辺りからでしたので、それ以前に発表された作品の続きが気になって仕方がありませんでした。 しかし、こうした公開のやり方から見ても「このシリーズは完結後、間違いなく単行本化される」と踏んで、本の刊行を楽しみに待っていたのです。

 ところが最後の最後に来て、シリーズのトリを務める画家の山口晃氏の作品が予定通りに公開されないというアクシデントが起こりました。

 それまでは毎月1日に新作が発表されていたのですが、当日発表されたのは編集部のお詫びコメントでした。

 その後、何度もサイトを訪れるも、予定を1ヶ月過ぎても全く内容が更新される気配がありません。
山口晃氏は遅筆で有名な方のようですが、それにしても遅い… 本の刊行を心待ちにしていた僕は、お預けを食らったまま忘れられてしまった犬のように恨めしい気持ちになっていました。

 しかし、それは果てしない放置プレイのほんの序章に過ぎなかったのです。

  編集部も最初は何月頃公開と見込みを付けてお詫びのコメントを更新していましたが、終いには近日公開予定としたまま何ヶ月もが経過しました。

 当初は僕も毎日のようにサイトを確認しに行っていましたが、何度行っても無駄足でした。
山口氏のせいで、このまま企画自体が頓挫してしまうのではないかと不安に思ったものです。

 苛立ちは怒りとなり、やがて呆れ果て、最後は諦めに変わりました。
編集部もこの事態にはさぞかし困惑した事と思います。

 さらに数ヶ月が経過し…興味を失い、忘れかけていた頃、それは突然発表されたようでした。

 ようでした。…というのは、久しぶりに思い出して、サイトを訪ねた時はすでに公開期間を過ぎて冒頭部分しか読めなかったのです。

 フ・ザ・ケ・ル・ナ・ヨ・ヤ・マ・グ・チ・ィ…( ̄O ̄;)

 
 もちろん山口晃氏の名前は以前から知っていましたし、その豊かな才能には敬服していました。
多忙な方であるという事は容易に想像がつきますが、さすがにここまで遅れるとは思ってもみませんでした。 これではプロとして失格です。

 本来なら2016年3月に公開されるはずだった作品は、遅れに遅れてなんと7ヶ月後の10月になってようやく公開と相成ったのでありました。

 氏がシリーズのトリに選ばれたのは編集部の敬意の表れでしょうが、同時に遅筆を見越しての配慮とも考えられます。

  「原文を漫画用に脚色するコツがつかめずネームに異様に時間が掛かってしまった」と、あとがきにありましたが、締め切りを守ってこそなんぼのプロの世界。 あの藤子不二雄ですら締め切りに遅れて雑誌に穴を開け、仕事を何年も干されていた時期があるのです。

 まあ、山口晃氏は漫画家ではありませんから、慣れない作業に手こずったのは仕方ありませんが、仕事を引き受けたからにはしっかりと締切は厳守して欲しかったです。

 そんなわけで久しぶりにサイトを訪問した時はすでに全作品の公開が終了していましたが、僕の予想通り、シリーズの単行本化のお知らせが掲載されていました。

 さっそくAmazonでポチったのは言うまでもありません。

 話がだいぶ脱線してしまいましたが、発売日に届いた「谷崎万華鏡」は和を意識した美麗な装丁が目を惹く美しい本でした。

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 僕はやはり電子書籍ではなく、存在感のある紙の書籍が好きです。


 待ち焦がれていた作品の続きを一編一編、噛みしめるように読みながら、文豪・谷崎の耽美な世界を堪能しました。

 画風の好みで言えば、僕は古谷兎丸氏と山田参助氏と山口晃氏に軍配を上げます。

 古谷氏は黒髪の艶や服のシワの一本一本まで丁寧に描き込む細密な描写で少女の魔性を紡ぎ出し、対して山田氏は単純な描線によって見事なまでに女性のエロティシズムを捉え、山口氏はデフォルメとラフな筆のタッチで谷崎のコミカルでユーモラスな一面に光を当てます。

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 内容的に注目したのは「青塚氏の話」で、主人公の狂気じみた執念に薄気味の悪さを覚えつつ、ご主人様という1人の女性を狂信的に崇め奉る自分の姿を重ねながら読みました。

 憧れの女優の面影を追い、全国の遊郭を巡って彼女の身体的パーツに酷似する遊女達のデータを収集し、それらを統合して女優と生き写しのダッチワイフを作り上げるという狂的なフェティシズムは谷崎の世界観そのものという感じがします。

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 また国民的アイドルグループのメンバーながら全く人気が出ないナオミンと、彼女を崇拝するファン・譲治の物語に転化した現代版「痴人の愛」も好きな一編です。 コアな谷崎ファンには原作の愚弄ととる方もいるかもしれませんが、この作品はエンタメとして楽しむのが正解でしょう。

 ナオミンは自分が外見だけで中身は空っぽの女の子である事を自覚しつつ、その“上等な、意志を持った外側”で譲治を翻弄し跪かせます。 

 どんな賢人も女性美の前では痴人に成り果てる。 

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 まんがで読破シリーズの「痴人の愛」とマンガアンソロジー「谷崎万華鏡」の違う点は、前者は数ある名作のコミカライズの中の一編、後者は谷崎潤一郎全集を編纂する出版社が企画、構成した思い入れ深い作品集であるといったところでしょうか。 

 両者とも僕のような初心者が谷崎作品に触れるきっかけや入門書として楽しむにはもってこいの本だと思います。

 僕はまだ文豪「大谷崎」の煌めく才能の一端しか知りませんが、今後ゆっくりとその魅力を味わっていきたいと思います。

 日本語の美しさと世界に誇る漫画文化を思う時、この国に生まれた喜びをしみじみと感じます。

 
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とても気に入っています(*^o^*)
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