殺されるほど愛されたい
「女子高生に殺されたい」
このマゾヒズムをくすぐるセンセーショナルなタイトルと、物語のイントロダクションに惹かれ、初めて古屋兎丸作品を入手しました。
古屋兎丸は、異色の作家を数多く輩出した伝説の漫画雑誌「月刊漫画ガロ」出身の漫画家です。
僕は、彼の描く緻密な線と精密な描写、やや影のあるキャラクターと耽美な作風にずっと好感を持っていましたが、これまで掲載誌に目を通した事はあっても、コミックスまで買った事はありませんでした。
今年に入ってネットでこの作品の存在を知り、すぐに第1巻を購入。 スリリングでミステリアスな展開に引き込まれて一気に読み終え、第2巻・完結編の刊行を心待ちにしていたのでした。(8月発売、読了)
この作品の主人公・東山春人は“自分が殺されることに性的興奮を覚える“オートアサシノフィリア”という性的嗜好の持ち主です。
彼は、可憐で美しい女子高生・佐々木真帆に殺されたいが為に、彼女の通う高校の教師になりました。 綿密な計画と周到な準備のもとで真帆に近づき、長年の夢の実現に向けて行動を開始します。
そして真帆もまた、悪夢のような忌まわしい過去を封印し、その美貌の奥にもう一つ別の顔を隠し持った闇深き美少女だったのです。
この作品はどちらかと言えばサイコサスペンスのような趣きがあり、マゾヒズムとの関連はあまりありませんでしたが、それでも僕にとって充分に楽しめる内容でした。
ラストもやや使い古された手法ではありますが、ハッピーエンドを装いつつ、不気味な余韻を残しています。
僕には本来、死に対する憧憬や願望はありません。
若い頃から不摂生を重ねてきたおかげで身体はボロボロですが、生への執着心は人一倍強く、健康で長生きをしたいと虫のいい事を考えています。
この身が朽ち果てるまで、ご主人様の奴隷としてお仕えし、マゾヒズムを全うしたいのです。
しかしオートアサシノフィリアは、僕の中にもマゾヒズムの一部として内在しています。
病いや不慮の事故などで非業の死を遂げるよりは、むしろ美女に殺されたいという思いがあるのです。
SMクラブのストーリープレイで毎回持ち込んでいたシナリオは、“女性から様々な拷問を受け、最期は去勢されて殺される”という内容がデフォでした。
女性の足元にすがり、泣きながら命乞いをするというシチュエーションに萌えるのです。
Mビデオでよく使われる、 “処刑”や“不要家畜の処分”などという言葉にも心がトキメキます。
下記の引用は、沼正三のエッセイ集「ある夢想家の手帳から(潮出版社)」 の中で紹介された、とあるマゾヒストの告白文とされる一文です。
「私は本年二十四歳の男子ですが、少年の頃より、異常なるマゾヒズムスにて、年若き美婦人の為に、惨酷なる嬲り殺しにせられることを希望して居ります。 又美婦人の身に附いている庶物を崇拝し、痰や鼻汁ぐらいは微々たるもの、尿水をのみ、糞便を 食べてみたいと日夜希ふて居ります。 身分高く、年若き美婦人の奴隷となり、その御方の糞尿を常食とし、酷使せられ、又玩弄物となって、恥辱を与へて貰ひ、又出来得る限り、惨酷なる嬲り殺しにせられた上、肉を料理されて喰べて貰ひ度きことを、いまでも希望して止みません(略)」
僕は、この短い文章の中に書かれた多数の性的嗜好を全て備えています。
マゾヒズム、アルゴフィリア(肉体的苦痛性愛)、フェティシズム(物神崇拝)、ハイグロフィリア(分泌液愛好)、ウロフィリア(尿性愛)、コプロフィリア(嗜糞症)、オートアサシノフィリア(殺されたい願望)、カニバリズム(食べられたい願望)、セルヴェリズム(奴隷願望)、家畜、ペット願望 等々…
脚本家の山田太一氏は、著書「昼下りの悪魔」 の中でこの文章を引用して「いかに私のマゾ的な要素をはげましてみても共感の域を越えている。」 と評していましたが、僕には、常人には理解できないこの若きマゾヒストの気持ちが痛いほどよくわかります。
オートアサシノフィリアやカニバリズムは、実際には実現不可能な妄想でしかありません。
しかしタブーであるからこそ、そこにとてもマゾヒスティックな魅力を感じます。
現実には、女性が男性を殺害するケースは、男性の場合と比べて圧倒的に少ないです。
また、日本では美女が犯した殺人事件というのは、過去を遡ってみてもほとんど思い当たりません。
美しい女性はむしろ、幼稚で粗暴で性欲の塊のような男たちにストーキングされた挙句、殺人の被害者側となるケースの方が圧倒的に多いのです。
ただ、日本を代表する猟奇殺人事件の犯人として、今もなお語り継がれる阿部定は、当時は、なかなかの器量良しという評価を得ていたようです。
性行為中に首を締められる事を好んだとされる愛人・吉蔵を絞殺し、その後、局部を切り取って持ち去った阿部定事件は、SM的な観点から見ても非常に興味深い犯罪だと思います。
僕は、ご主人様のような美しい女性に強く惹かれはしますが、女性に対して差別的なほどのルッキストではありません。 年齢や容姿に関わらず、女性を尊重しています。
ただし、もし自分が殺されるのだとしたら、お相手は美女である事が大前提となります。
林真◯美死刑囚や木嶋◯苗死刑囚のような、好みでない女性には間違っても殺されたくはありません。
一つしかない生命を捧げるのですから、そのくらいの選択権は許されてもいいのではないでしょうか。
また、「女子高生に殺されたい」にも描かれていましたが、殺され方にもこだわりたいところです。
女性に殺される話というと、すぐに乱歩の「お勢登場」を思い出します。
池上遼一がコミカライズした、妖艶な悪妻・お勢は“魔性の女”として魅力的に描かれてはいましたが、長持ちに閉じ込められて暗闇の中、苦悶しながら果てるのはご勘弁願いたいです。 同様の理由でTVドラマ「古畑任三郎」に登場した小石川ちなみのマーダーケースも頂けません。
若き日の中森明菜が演じた女流漫画家は、アンニュイな雰囲気を漂わせた十分魅力的な女性でしたが、僕は閉所恐怖症なので、密閉された空間に閉じ込められて窒息死や衰弱死をするのはまっぴらです。
おそらく死を迎える前に、恐怖で発狂してしまうのではないかと思われます。
彼女たちは殺意を持って、鍵のかかる長持ちの蓋や地下倉庫のドアを閉じただけです。
いくら相手が美女だとしても、性的興奮を全く感じる事ができない、非常につまらない殺され方だと思います。
やはり、オートアサシノフィリアは死の寸前に生命と引き換えに味わう性的興奮が最も重要なのです。
同じ窒息死をするのならば、僕は顔面騎乗による圧殺を希望します。
本心を言えば、ご主人様のフルフルと柔らかくて吸い付くような美尻の下で、なぶり殺しにされたいです。
意地悪く焦らされながら、何度も何度も窒息寸前に追い込まれては、わずかばかりの呼吸を許されます。
僕の中心で、はち切れんばかりに硬化したマゾヒズムの申し子を、柔らかなおみ足の裏で弄ばれるご主人様。
ご主人様の全体重を受け止めた僕の顔面は大きくひしゃげ、ミシミシと頭蓋骨が軋む音が聞こえます。 崇拝する女神の、悪魔のような笑い声をレクイエム代わりに、徐々に意識が遠のいていく様を想像すると、マゾヒストとしてこれ以上はない最期のような気がします。
末期の水は、ご聖水をタップリと浴びせられて成仏したいです。
春川ナミオ画伯のfemdomアートにも、巨女の顔面騎乗による死刑執行シーンが描かれています。
若い女性のお尻こそがこの世で最も美しく尊いもの。 その崇高な存在の前には、男の生命など虫けらのそれも同然なのでしょう。
僕は春川氏もまた、オートアサシノフィリアの性癖を有しているのではないかと疑っています。
いや、おそらくはマゾヒスト男性の誰もが、心の奥底に“美女に殺されたい願望”を秘めているのではないでしょうか?
昨年、ご主人様が、あるS女性のインタビューにお応えしている場に立会わせて頂き、拝聴する機会に恵まれました。
その中で、S女性の「SMプレイをしている最中、相手に殺意が湧く事はありますか?」という問いに、ご主人様は「もし、その人の事が世界で一番好きだったら殺したいと思うかもしれない」とお答えになっていました。
阿部定は逮捕後、「彼を殺せば他のどんな女性も二度と彼に決して触ることができないと思い、彼を殺した…」「いつも彼の側にいるためにそれ(局部)を持っていきたかった」と供述したそうです。
アセクシャルを自認するご主人様が、殺したいほど愛する人っていったいどんな方なのだろう?
男性だろうか? あるいは女性なのか⁉︎
その殺意の根底にあるものは独占欲なのでしょうか? あるいは支配欲によるものなのか…
いずれにしても相手は僕じゃない事だけは確かなので、羨望の思いで聞いていました。
しかし、その後のインタビューで語られたご主人様の究極のS願望が“マゾの身体をメスで斬り刻む事”だと知って、 僕じゃなくてよかったとホッと胸を撫で下ろしたのも正直な気持ちです。σ(^_^;)
「命を奪われたいと願うこと、それは愛されたいと願うことと同じなの」
これは「女子高生に殺されたい」と願う春人の元恋人で同僚の、スクールカウンセラー・深川五月のセリフです。 彼女は臨床心理士の資格を持っているという設定なので、おそらく、このセリフの内容は真実なのでしょう。
春人は真帆から慕われ、淡い恋心を抱かれていました。 そして、元恋人の五月からも、今も愛されていた。
彼は強い希死念慮に支配され、人から愛されていることを感じる能力が欠如していたようです。
僕はご主人様との奴隷契約において、“見返りを求めない愛を捧げる”誓いを立てましたが、心のどこかでご主人様に愛されたいと願っていたのでしょうか?
昨年、ご主人様との関係性に思い悩んでいた時、ご主人様から「私の愛を、けっして疑わないでね!」というメッセージを頂きました。
僕は、ご主人様に対して一方的に愛を捧げているつもりでいましたが、ご主人様からも奴隷として充分過ぎる愛情を頂いていたのです。 そんな事にすら、思いが至らなかった自分は奴隷失格です…
究極のマゾヒズムが「生物として、愛する人に生命を奪われる事」だとするならば、究極のサディズムは「相手の生命をも支配する事」なのかもしれません。
僕は、心の奥底でご主人様に“殺されるほど愛されたい”と願いつつ、同時に、ご主人様の奴隷として悠久の時を過ごしたい、生まれ変わって、何度でもご主人様のお足元でお仕えしたいと願っているのです。
「女子高生に殺されたい」は、こちらで試し読みが出来ます。