奴隷の味
お正月にWOWOWで、映画「娚(おとこ)の一生」を放送していたので観てみました。
昨年のバレンタインデーに劇場公開され、豊川悦司の足キスシーンで話題になったあの作品です。
累計150万部を売り上げた人気コミックの実写化という事ですが、僕は原作を読んだ事はありません。 この作品はあの足キスのスチール写真やポスターによって初めて知りました。
主演の榮倉奈々さんに関しては「セブンティーン」のモデル時代から知っていましたが、これまで特に興味はありませんでした。 しかしこの映画を観て、魅力的でいい女優さんだったんだなと改めて気づかされました。
不倫の恋や都会の喧騒に疲れ果てたキャリアウーマンのつぐみ(榮倉奈々)は、田舎の祖母の家で長期休暇を過ごしていました。 入院中だった祖母が突然亡くなって、慌ただしく葬儀を終えた翌日、離れに見知らぬ中年男性が移り住んできます。 つぐみに好意を持ったという彼は、かつての祖母の教え子で独身の大学教授海江田(豊川悦司)という男でした。 彼は祖母に想いを寄せ、生前 離れの鍵を貰っていたと言うのです。 在宅勤務に切り替えたつぐみは、そのまま海江田と奇妙な同居生活を始めます。 つぐみは最初、無遠慮で厚かましい中年男に戸惑いを抱いていましたが、次第に彼に心を開き始めます。
そして例の足キスシーンへと繋がっていくわけです。
時間にして1分半程でしたが、海江田はつぐみの足指を一本ずつ口に含み、丁寧に舐めあげていきます。
その様子を直視しながら黙って身を任せているつぐみ。 しだいに彼女は目を閉じ、愉悦の表情を浮かべるようになります。
やがて場面が変わり、陽が落ちた窓外を眺めながらタバコをくゆらせる海江田、ベッドの上で全裸でうつ伏せているつぐみ。 すでに2人の間に濃厚な時間が流れたことが分かります。
ここはつぐみが初めて海江田の愛を受け入れた重要なシーンですが、ある意味ベッドシーンを描くよりもずっと官能的で、耽美的な文学のような味わいがありました。
ネットで拾った原作の足キスと比べるとかなり印象が異なり、映画の方は足舐めと言った方がピッタリくる感じです。 監督曰く「普通はやらない。海江田は不器用なゆえに、そういう行為に出ちゃった…」との事でしたので、これが海江田にとって必然的な愛情表現だったのでしょう。
公開時の舞台挨拶では足を模った巨大なバレンタインチョコを用意するなど、製作サイドは明らかに話題性を狙っていた事が分かります。
榮倉奈々は、「恥ずかしくて試写ではそのシーンは目を逸らしてしまって観てないです」と振り返り、トヨエツは「僕自身はノーマルな方なので撮影はドキドキしました」と語っていましたが、やはり一般的に足舐めはいまだアブノーマルであり、だからこそこれだけ話題になったのでしょう。
この作品自体は大人向けのラブストーリーで、観賞後も爽やかな余韻が残る悪くない映画でした。
50代の中年男性が若い女性との恋愛を成就させる。 今は枯れ専女子という言葉もあるくらいなので枯れ始めたオヤジ達にも希望を与えてくれます。
ただ、マゾヒスト的に観るべきシーンは話題になった足舐めシーンと、つぐみが海江田の背後から思い切り足蹴りを食らわせ、彼がもんどり打って床を転げるシーンの2カ所くらいでしょうか。 また全編に渡って精神的なマゾヒズム要素は全くありませんので、そういったものを期待して観るとガッカリすると思います。
僕はマゾヒストのご多聞に漏れず、女性の足を舐めるのが好きです。 いや、舐めさせられるのが好きと言ったほうがいいかもしれません。 そこには女性側の強制的な意思が働いていて欲しいという願望があります。
「跪いて足をお舐め!」…というドミナのご命令のもと、隷従の証として足を舐めたいのです。
両手でおみ足をうやうやしく支え、指先を口に含み、指股に舌を挿し入れる様子を冷ややかな視線で見下ろしていて欲しい。
もちろん足を舐めるというマゾヒズム的な行為に興奮するわけですが、同時にフェティシズムの五感をも刺激されるのです。
女性の足の美しい形状に見惚れ、体温や湿度を感じ、芳醇な香りを嗅ぎ、程良い酸味と塩気を味わい、舌を這わせる際の淫音に興奮するのです。
僕は、実際には足舐めを好んでいますのでそこに屈辱感は存在しません。
しかし例え形式的なものであったとしても、ドミナに対して服従を誓うための儀式として必要だと考えています。
僕は沼正三氏が、著書「女性上位願望」で論じたスクビズムに共感しています。
昔から足にはネガティブなイメージがつきまとっています。
僕自身はけっして女性のおみ足を不浄な物と捉えたりはしていませんし、むしろ神々しいとさえ思っていますが、足下に跪いて足を舐めるという行為は下降願望の表出だと理解しています。
若い頃はドミナへの土下座やご挨拶等は芝居じみていて好きになれず、疎かにしてきました。 足舐めは好きでしたが、それが服従の証であるという捉え方はしていませんでした。
しかし、今は女性支配における重要な要素としてこれらを受け入れる事が出来るようになりました。
なによりこうした行為だけで性的興奮を喚起できるようになった事は、マゾヒストとして大いなる成長だと思っています。
ところが残念な事に、ご主人様は、奴隷に足を舐めさせる事があまりお好きではないようです。
口舌奉仕全般がNGなのですが、これまで足舐めだけはかろうじてお許し頂いていました。
しかし、足舐めの終了後はすぐに洗面所に洗浄しに行かれますし、舐めている時も心ここに在らずといった感じです。 とても潔癖な方なので奴隷の舌の感触や唾液がつくのが不快なのだと思います。
また、SMクラブにいらっしゃった時のコラムには「みんなガツガツして舐めるからくすぐったいだけで全然気持ちよくない」と書かれた事もあり、M男の舐め方もお気に召さないようでした。
僕は今はご主人様の奴隷であって、お客さんではないのでご主人様がお嫌な事はなるべくしたくありません。
そこでご主人様が代替案として考えて下さったのが、おみ足を洗浄したお水を飲ませて頂くという行為でした。 僕はこれが主従の盃を交わす儀式のようで、とても気に入っていました。
ご主人様専用の洗面器に適温の水を張り、自らの手の汚れが混じらないようにゴム手袋を着けて、小さく切ったボディタオルでおみ足の隅々まで丁寧に洗い清めていきます。
洗浄後の水にはお履きになっていた靴下の繊維や皮脂、細かい砂粒状の汚れなどが浮遊したり沈殿しています。
僕はおみ足の洗浄が終わるとこの洗面器を両手で持ち、大盃でお神酒を頂くように一気に飲み干します。 これは視覚的にも味覚的にも大変興奮しました。
そのうちに僕は洗浄以外にも、ご主人様のおみ足のケアをさせて頂けないだろうかと考えるようになりました。
そしてご主人様にお願いして、指股を洗浄するブラシや角質を削るヤスリなどを使わせて頂く事をお許し頂いたのです。
僕は、敬愛するご主人様の大切なおみ足のお手入れをさせて頂く事に奴隷の喜びを感じていました。
ところがこれが思わぬ事態を招いてしまう結果になるのです。
ケアを始めて2回目の時だったでしょうか、足裏の角質をヤスリで削り過ぎてしまい微量の出血をさせてしまいました。
その時はお許し頂きましたが、2ヶ月後位にその部分に炎症が生じて皮膚科に通院する事になってしまったのです。
僕が余計な事をしたばかりに、ご主人様の玉体の一部を傷つけてしまい大変落ち込みました。 奴隷の卑しい身体では到底償いきれない大失態です。 当然ご主人様はご立腹で、当分おみ足に触れることを禁じられてしまいました。
僕はもう二度とご主人様のおみ足には触れさせて頂けないかもしれない…それも自らの不注意が招いた結果なので仕方ありません。
ところが意外にもこの失態が、僕をマゾヒストとして新たなステージへと導く事になるのです。
次のご調教の時、ご主人様はベッドに腰掛けて目の前に跪いている奴隷に向かってこう仰いました。
「今日はお前の舐めるものがなくて口寂しいね。 それなら私の靴の裏でも舐めたらどう?」
それは少し突き放したような響きを持って僕の耳に届きました。
僕は予期せぬお言葉を頂いて、少し狼狽えていました。
しかし鼻先にお脚が突き出されるとそれを大切に抱え、靴裏にゆっくりと舌先を這わせ始めたのでした。
それは室内で履くプレイ用の靴などではなく、普段からご主人様がご愛用されている外履きの靴でした。 僕が嫌悪する男性が吐いた痰や、犬猫のふん尿が落ちていた路面を踏みつけたかもしれません。 ご主人様の靴裏は、普段僕が喜んで舐めているおみ足のように甘美な味わいは一切なく、ジャリジャリと舌に逆らう屈辱の味がしました。
ところがどうした事か、靴舐めの最中、僕はいつも以上に興奮している自分を感じていたのです。
目は虚ろで呼吸が荒くなり、股間がいつも以上に反応していました。
もしかしたらこれこそが真に隷従する者の姿ではないのか⁉︎
この被虐感こそがマゾヒズムの本質ではないのか?
それはけっして喜んで舐められる性質の物ではなく、できることなら拒絶したい行為です。 しかし、奴隷の分際でご主人様のご命令に逆らうことは許されない。
ご主人様の大切なおみ足を傷つけた罰を与えられているのかもしれない…
その絶対服従の脅迫感に否応なく従う自分自身の惨めな姿が僕を興奮させたのだと思います。
これは僕自身にとっても新しい発見でした。
ドミナがお履きになっている靴の裏ならば、なんの抵抗もなく舐められるというマゾヒストは大勢いるでしょう。 たとえ他の奴隷が舐めたハイヒールであってもドミナが“舐めろ”と仰るなら喜んで従うと。
しかし歓喜して舐めるのではダメなのです。 拒絶感に抗いながら舐める事がより興奮を誘ったのだと思います。
ですから2回3回と繰り返すうちに拒絶感が薄れ、靴裏を喜んで舐めるようになったらこの興奮は陽炎のように霧消してしまうことでしょう。
人は慣れる動物なので、常に新しい刺激を求め続けます。
しかしあの時、僕の脳裏にはヤラセでも演技でもない自分自身の“真の奴隷の姿”が映し出された事は間違いありません。
僕はあの日、舌先に感じ取った“奴隷の味”を生涯忘れることはないと思うのです。
昨年のバレンタインデーに劇場公開され、豊川悦司の足キスシーンで話題になったあの作品です。
累計150万部を売り上げた人気コミックの実写化という事ですが、僕は原作を読んだ事はありません。 この作品はあの足キスのスチール写真やポスターによって初めて知りました。
主演の榮倉奈々さんに関しては「セブンティーン」のモデル時代から知っていましたが、これまで特に興味はありませんでした。 しかしこの映画を観て、魅力的でいい女優さんだったんだなと改めて気づかされました。
不倫の恋や都会の喧騒に疲れ果てたキャリアウーマンのつぐみ(榮倉奈々)は、田舎の祖母の家で長期休暇を過ごしていました。 入院中だった祖母が突然亡くなって、慌ただしく葬儀を終えた翌日、離れに見知らぬ中年男性が移り住んできます。 つぐみに好意を持ったという彼は、かつての祖母の教え子で独身の大学教授海江田(豊川悦司)という男でした。 彼は祖母に想いを寄せ、生前 離れの鍵を貰っていたと言うのです。 在宅勤務に切り替えたつぐみは、そのまま海江田と奇妙な同居生活を始めます。 つぐみは最初、無遠慮で厚かましい中年男に戸惑いを抱いていましたが、次第に彼に心を開き始めます。
そして例の足キスシーンへと繋がっていくわけです。
時間にして1分半程でしたが、海江田はつぐみの足指を一本ずつ口に含み、丁寧に舐めあげていきます。
その様子を直視しながら黙って身を任せているつぐみ。 しだいに彼女は目を閉じ、愉悦の表情を浮かべるようになります。
やがて場面が変わり、陽が落ちた窓外を眺めながらタバコをくゆらせる海江田、ベッドの上で全裸でうつ伏せているつぐみ。 すでに2人の間に濃厚な時間が流れたことが分かります。
ここはつぐみが初めて海江田の愛を受け入れた重要なシーンですが、ある意味ベッドシーンを描くよりもずっと官能的で、耽美的な文学のような味わいがありました。
ネットで拾った原作の足キスと比べるとかなり印象が異なり、映画の方は足舐めと言った方がピッタリくる感じです。 監督曰く「普通はやらない。海江田は不器用なゆえに、そういう行為に出ちゃった…」との事でしたので、これが海江田にとって必然的な愛情表現だったのでしょう。
公開時の舞台挨拶では足を模った巨大なバレンタインチョコを用意するなど、製作サイドは明らかに話題性を狙っていた事が分かります。
榮倉奈々は、「恥ずかしくて試写ではそのシーンは目を逸らしてしまって観てないです」と振り返り、トヨエツは「僕自身はノーマルな方なので撮影はドキドキしました」と語っていましたが、やはり一般的に足舐めはいまだアブノーマルであり、だからこそこれだけ話題になったのでしょう。
この作品自体は大人向けのラブストーリーで、観賞後も爽やかな余韻が残る悪くない映画でした。
50代の中年男性が若い女性との恋愛を成就させる。 今は枯れ専女子という言葉もあるくらいなので枯れ始めたオヤジ達にも希望を与えてくれます。
ただ、マゾヒスト的に観るべきシーンは話題になった足舐めシーンと、つぐみが海江田の背後から思い切り足蹴りを食らわせ、彼がもんどり打って床を転げるシーンの2カ所くらいでしょうか。 また全編に渡って精神的なマゾヒズム要素は全くありませんので、そういったものを期待して観るとガッカリすると思います。
僕はマゾヒストのご多聞に漏れず、女性の足を舐めるのが好きです。 いや、舐めさせられるのが好きと言ったほうがいいかもしれません。 そこには女性側の強制的な意思が働いていて欲しいという願望があります。
「跪いて足をお舐め!」…というドミナのご命令のもと、隷従の証として足を舐めたいのです。
両手でおみ足をうやうやしく支え、指先を口に含み、指股に舌を挿し入れる様子を冷ややかな視線で見下ろしていて欲しい。
もちろん足を舐めるというマゾヒズム的な行為に興奮するわけですが、同時にフェティシズムの五感をも刺激されるのです。
女性の足の美しい形状に見惚れ、体温や湿度を感じ、芳醇な香りを嗅ぎ、程良い酸味と塩気を味わい、舌を這わせる際の淫音に興奮するのです。
僕は、実際には足舐めを好んでいますのでそこに屈辱感は存在しません。
しかし例え形式的なものであったとしても、ドミナに対して服従を誓うための儀式として必要だと考えています。
僕は沼正三氏が、著書「女性上位願望」で論じたスクビズムに共感しています。
昔から足にはネガティブなイメージがつきまとっています。
僕自身はけっして女性のおみ足を不浄な物と捉えたりはしていませんし、むしろ神々しいとさえ思っていますが、足下に跪いて足を舐めるという行為は下降願望の表出だと理解しています。
若い頃はドミナへの土下座やご挨拶等は芝居じみていて好きになれず、疎かにしてきました。 足舐めは好きでしたが、それが服従の証であるという捉え方はしていませんでした。
しかし、今は女性支配における重要な要素としてこれらを受け入れる事が出来るようになりました。
なによりこうした行為だけで性的興奮を喚起できるようになった事は、マゾヒストとして大いなる成長だと思っています。
ところが残念な事に、ご主人様は、奴隷に足を舐めさせる事があまりお好きではないようです。
口舌奉仕全般がNGなのですが、これまで足舐めだけはかろうじてお許し頂いていました。
しかし、足舐めの終了後はすぐに洗面所に洗浄しに行かれますし、舐めている時も心ここに在らずといった感じです。 とても潔癖な方なので奴隷の舌の感触や唾液がつくのが不快なのだと思います。
また、SMクラブにいらっしゃった時のコラムには「みんなガツガツして舐めるからくすぐったいだけで全然気持ちよくない」と書かれた事もあり、M男の舐め方もお気に召さないようでした。
僕は今はご主人様の奴隷であって、お客さんではないのでご主人様がお嫌な事はなるべくしたくありません。
そこでご主人様が代替案として考えて下さったのが、おみ足を洗浄したお水を飲ませて頂くという行為でした。 僕はこれが主従の盃を交わす儀式のようで、とても気に入っていました。
ご主人様専用の洗面器に適温の水を張り、自らの手の汚れが混じらないようにゴム手袋を着けて、小さく切ったボディタオルでおみ足の隅々まで丁寧に洗い清めていきます。
洗浄後の水にはお履きになっていた靴下の繊維や皮脂、細かい砂粒状の汚れなどが浮遊したり沈殿しています。
僕はおみ足の洗浄が終わるとこの洗面器を両手で持ち、大盃でお神酒を頂くように一気に飲み干します。 これは視覚的にも味覚的にも大変興奮しました。
そのうちに僕は洗浄以外にも、ご主人様のおみ足のケアをさせて頂けないだろうかと考えるようになりました。
そしてご主人様にお願いして、指股を洗浄するブラシや角質を削るヤスリなどを使わせて頂く事をお許し頂いたのです。
僕は、敬愛するご主人様の大切なおみ足のお手入れをさせて頂く事に奴隷の喜びを感じていました。
ところがこれが思わぬ事態を招いてしまう結果になるのです。
ケアを始めて2回目の時だったでしょうか、足裏の角質をヤスリで削り過ぎてしまい微量の出血をさせてしまいました。
その時はお許し頂きましたが、2ヶ月後位にその部分に炎症が生じて皮膚科に通院する事になってしまったのです。
僕が余計な事をしたばかりに、ご主人様の玉体の一部を傷つけてしまい大変落ち込みました。 奴隷の卑しい身体では到底償いきれない大失態です。 当然ご主人様はご立腹で、当分おみ足に触れることを禁じられてしまいました。
僕はもう二度とご主人様のおみ足には触れさせて頂けないかもしれない…それも自らの不注意が招いた結果なので仕方ありません。
ところが意外にもこの失態が、僕をマゾヒストとして新たなステージへと導く事になるのです。
次のご調教の時、ご主人様はベッドに腰掛けて目の前に跪いている奴隷に向かってこう仰いました。
「今日はお前の舐めるものがなくて口寂しいね。 それなら私の靴の裏でも舐めたらどう?」
それは少し突き放したような響きを持って僕の耳に届きました。
僕は予期せぬお言葉を頂いて、少し狼狽えていました。
しかし鼻先にお脚が突き出されるとそれを大切に抱え、靴裏にゆっくりと舌先を這わせ始めたのでした。
それは室内で履くプレイ用の靴などではなく、普段からご主人様がご愛用されている外履きの靴でした。 僕が嫌悪する男性が吐いた痰や、犬猫のふん尿が落ちていた路面を踏みつけたかもしれません。 ご主人様の靴裏は、普段僕が喜んで舐めているおみ足のように甘美な味わいは一切なく、ジャリジャリと舌に逆らう屈辱の味がしました。
ところがどうした事か、靴舐めの最中、僕はいつも以上に興奮している自分を感じていたのです。
目は虚ろで呼吸が荒くなり、股間がいつも以上に反応していました。
もしかしたらこれこそが真に隷従する者の姿ではないのか⁉︎
この被虐感こそがマゾヒズムの本質ではないのか?
それはけっして喜んで舐められる性質の物ではなく、できることなら拒絶したい行為です。 しかし、奴隷の分際でご主人様のご命令に逆らうことは許されない。
ご主人様の大切なおみ足を傷つけた罰を与えられているのかもしれない…
その絶対服従の脅迫感に否応なく従う自分自身の惨めな姿が僕を興奮させたのだと思います。
これは僕自身にとっても新しい発見でした。
ドミナがお履きになっている靴の裏ならば、なんの抵抗もなく舐められるというマゾヒストは大勢いるでしょう。 たとえ他の奴隷が舐めたハイヒールであってもドミナが“舐めろ”と仰るなら喜んで従うと。
しかし歓喜して舐めるのではダメなのです。 拒絶感に抗いながら舐める事がより興奮を誘ったのだと思います。
ですから2回3回と繰り返すうちに拒絶感が薄れ、靴裏を喜んで舐めるようになったらこの興奮は陽炎のように霧消してしまうことでしょう。
人は慣れる動物なので、常に新しい刺激を求め続けます。
しかしあの時、僕の脳裏にはヤラセでも演技でもない自分自身の“真の奴隷の姿”が映し出された事は間違いありません。
僕はあの日、舌先に感じ取った“奴隷の味”を生涯忘れることはないと思うのです。