妖怪博士のfemdom観
気持ちが沈んでいる時に、さらに気が滅入る訃報が飛び込んできました。
日本を代表する漫画家・水木しげる大先生が11月30日に享年93歳でお亡くなりになられた…
短命を宿命づけられた漫画家の中にあって、確かに長寿を全うされた部類に入るかもしれません。
しかし先の大戦で最前線に送られ、戦闘で片腕を無くし、地獄をくぐって奇跡的に生還された方だという事を考えれば、まだまだ長生きをしてご活躍頂きたかったです。
僕は水木先生の、固定観念にとらわれない自由奔放な作風を愛していました。
鬼太郎と妖怪の重要な格闘シーンを絵ではなく文章で解説したり、長台詞の途中でコマを割ってしまったり、ラストシーンが小さな一コマで終了していたりと独自な漫画作法をお持ちの方でした。
些細な事にはこだわらない大らかさが、作品の持ち味にもなっていたように思います。
“妖怪”という異形のもの達を日本の文化として根づかせ、ユーモラスで愛される存在へと昇華させた功績は計り知れません。 また自らの戦争体験を絵筆に込め、戦争を知らない世代にその悲惨さを訴え続けてきた貴重な生き証人でもありました。
折しも講談社から「水木しげる漫画大全集」が、第2期まで刊行されている最中でした。
画業66周年の偉業を全て網羅する漫画大全集は、2年半かかってようやく半分ほど刊行されたところでしょうか。 漫画家・水木しげるをメジャーに押し上げた古巣の講談社から、全集が刊行される事を先生は大変お喜びだったそうです。
その完結を見る事なく亡くなられたのは、さぞかし無念であったでしょう。
代表作「ゲゲゲの鬼太郎」は世代を超えて万人に愛されていますが、僕は水木先生はどちらかと言えば大人向けの作家だったと思います。 競争社会や世知辛い世相をユーモアとペーソスで風刺して、奇妙で味付けした珠玉の短編群は水木ブランドの真骨頂でした。
水木作品の短編には、サラリーマン山田に代表される“うだつの上がらない亭主"が、その無能さを古女房にネチネチといびられているシーンが度々登場します。 男性は女性に捕まったが最後、生涯 女性の奴隷として身を粉にして働く運命にあるのだとでも言いたげです。 職場では奴隷同士の生き残りをかけた熾烈な出世競争にも打ち勝たなければなりません。
美貌とは程遠い悪妻に尻を叩かれ、絶望の淵で「フハッ」とため息をつく男達の悲哀溢れる姿は、マゾヒストの僕ですらしんみりと考えさせられてしまうものでした。
また、あくせく働く人間を冷めた目で見つめている傍観者として、作中によくネコを登場させていました。 ご自身もネコはお気に入りのようで、ねこ忍や猫楠、猫娘、猫仙人等々…猫をモチーフにした作品やキャラクターが沢山描かれています。
愛らしい姿で人間を魅了し、自ら働かなくとものんびりと気楽に生活していけるというネコのライフスタイルに、水木先生は羨望の眼差しを向けていたようです。 しかし、猫社会でもオスは縄張りやメス猫を巡って、優勝劣敗の厳しい闘いを繰り広げているのが実情であります。
水木先生は美女がとてもお好きだったそうです。
水木漫画に描かれる美女は、人物の作画を担当したアシスタントの交代によって画風の変遷があります。 それは「赤い花」のつげ義春であったり「男組」の池上遼一であったり、大先生に画力を認められた者たちの仕事でした。 大先生がペン入れを終えた画稿には、ただ鉛筆で丸に美女とだけ指示が書かれていたそうです。
水木作品に描かれる美女たちは、男を翻弄し男を食い尽くす魔性を持った女性達が多いような気がします。 それは魔女や妖怪や幽霊など、この世のものではないもの達の仮の姿でした。
水木作品の中で最もfemdomっぽいものを挙げるとするならば、それは「魔女モンロー」だと思います。
劇画家・水木しげるのプロダクションにアシスタントとして雇われたマリリン・モンローそっくりの金髪美女。 彼女は夜な夜なサパタを開き、日本のトップレベルの有力者達を暗殺しようと企む魔女だったのです。 水木は魔術による殺人に加担させられて警察に逮捕されてしまいます。 そこで彼は罪を不問にしてもらう代わりに、魔女退治に協力する事になるのでした。 魔術研究科・小西の協力を得て就寝中の魔女の身体を切り刻み、霊力を封印しようとしますが、あっけなく返り討ちにされてしまいます。 妖しいエロスと圧倒的な霊力で男たちを支配し、女王として君臨する魔女モンロー。 男達は生殺与奪の権を握られているために誰も逆らえません。
彼女を女王様と呼び、美と権力の前に跪く男達の姿を描いたこの作品には、間違いなくfemdomの精神が宿っていたと思います。
「魔女モンロー」©水木プロダクション
水木先生が女性美を魔性と捉え、その裏側に潜む暗黒面を描くのはなぜだろうと考えた時、氏が語る戦時中のエピソードが思い当たります。
水木先生は激戦の地・ラバウルに派遣された際に、エプぺという原住民の美女と知り合い、やがて彼女に惹かれていくようになります。 ご本人が仰るには、エプぺはそんじょそこらにいるような生半可な美女ではなく、絶世の美女だったそうです。彼女は病身で寝たきりの夫を支えながらも水木先生に好意を示し、よく果物や芋などを振舞ってくれました。 やがて終戦を迎え日本へと帰還する際に、親切にしてくれた原住民達に別れを告げようと水木先生がジャングルへと入っていくと…
滝の前で水浴びをするエプぺに遭遇しました。
裸身のまま、ニッコリと微笑みかけるエプぺの“この世のものとは思えぬ妖しい美しさ“に水木先生は息を飲みます。 現地の人たちは、聖域であるジャングルで男女の営みをするのが習わしでした。
その笑みは、別れを前にしたエプぺのOKのサインだったのです。
しかし、水木先生はエプぺの誘いには乗りませんでした。
若くて性欲を持て余した兵隊達には、あらかじめ“原住民の女性達”とは性行為をしないように上官から布告が出ていたのです。 現地の女性達の間で男性器が溶けてなくなる“ローソク病”という性病が流行っているので、注意するようにとのお達しでした。 後に水木先生は、彼女の誘いを受けなかった事について「ローソク病が怖かった」とハッキリと証言されています。
水木先生は原住民達にこの地に留まるよう熱心に勧められましたが、後ろ髪を引かれる思いで帰還します。 やがて仕事に忙殺されるようになると、当時を振り返って「もしあの時エプぺの誘いに乗っていたら今もラバウルで暮らし、漫画家・水木しげるは存在しなかったかもしれない」と運命の不思議さに思いを馳せていました。
水木作品における美女の、魔性の裏に潜む“美しいバラにはトゲがある”的な女性観はそんな体験が影響を与えてるのかなとふと思いました。
生還後は妻・布枝さんと見合い結婚をし、二人三脚で長い長い漫画道を歩んでこられました。
晩年、自分の仕事を陰で支えてくれた妻の功績を讃えながら「家内は私にとって空気のような存在。目に見えなくても大変な努力をしているんでしょうね。」と語っていたのがとても印象的でした。
マゾヒズムはいわば転落や下降願望であります。 戦中も戦後も毎日、生きるか死ぬかのギリギリのところで生きてきた水木先生には、マゾヒズムは芽生えなかったのではないかと思います。
マゾヒズムは平和で豊かな時代であるからこそ享受できる快楽ではないでしょうか。
晩年の水木先生は「水木サンの幸福論」を上梓されるなど、ご自分の幸福を実感されていたのだと思います。
この本の中で紹介された「幸福の七カ条」は世界中の幸福な人々・不幸な人々を観察してきた水木先生の体験から生み出された幸せになるための知恵だそうです。
幸福の七カ条
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。
今の僕にとって第三条「他人との比較ではない、あくまでも自分の楽しさを追求すべし。」という条項が深く心に沁みます。
水木しげる大先生のご冥福を心からお祈りしてこの項を終えたいと思います。
日本を代表する漫画家・水木しげる大先生が11月30日に享年93歳でお亡くなりになられた…
短命を宿命づけられた漫画家の中にあって、確かに長寿を全うされた部類に入るかもしれません。
しかし先の大戦で最前線に送られ、戦闘で片腕を無くし、地獄をくぐって奇跡的に生還された方だという事を考えれば、まだまだ長生きをしてご活躍頂きたかったです。
僕は水木先生の、固定観念にとらわれない自由奔放な作風を愛していました。
鬼太郎と妖怪の重要な格闘シーンを絵ではなく文章で解説したり、長台詞の途中でコマを割ってしまったり、ラストシーンが小さな一コマで終了していたりと独自な漫画作法をお持ちの方でした。
些細な事にはこだわらない大らかさが、作品の持ち味にもなっていたように思います。
“妖怪”という異形のもの達を日本の文化として根づかせ、ユーモラスで愛される存在へと昇華させた功績は計り知れません。 また自らの戦争体験を絵筆に込め、戦争を知らない世代にその悲惨さを訴え続けてきた貴重な生き証人でもありました。
折しも講談社から「水木しげる漫画大全集」が、第2期まで刊行されている最中でした。
画業66周年の偉業を全て網羅する漫画大全集は、2年半かかってようやく半分ほど刊行されたところでしょうか。 漫画家・水木しげるをメジャーに押し上げた古巣の講談社から、全集が刊行される事を先生は大変お喜びだったそうです。
その完結を見る事なく亡くなられたのは、さぞかし無念であったでしょう。
代表作「ゲゲゲの鬼太郎」は世代を超えて万人に愛されていますが、僕は水木先生はどちらかと言えば大人向けの作家だったと思います。 競争社会や世知辛い世相をユーモアとペーソスで風刺して、奇妙で味付けした珠玉の短編群は水木ブランドの真骨頂でした。
水木作品の短編には、サラリーマン山田に代表される“うだつの上がらない亭主"が、その無能さを古女房にネチネチといびられているシーンが度々登場します。 男性は女性に捕まったが最後、生涯 女性の奴隷として身を粉にして働く運命にあるのだとでも言いたげです。 職場では奴隷同士の生き残りをかけた熾烈な出世競争にも打ち勝たなければなりません。
美貌とは程遠い悪妻に尻を叩かれ、絶望の淵で「フハッ」とため息をつく男達の悲哀溢れる姿は、マゾヒストの僕ですらしんみりと考えさせられてしまうものでした。
また、あくせく働く人間を冷めた目で見つめている傍観者として、作中によくネコを登場させていました。 ご自身もネコはお気に入りのようで、ねこ忍や猫楠、猫娘、猫仙人等々…猫をモチーフにした作品やキャラクターが沢山描かれています。
愛らしい姿で人間を魅了し、自ら働かなくとものんびりと気楽に生活していけるというネコのライフスタイルに、水木先生は羨望の眼差しを向けていたようです。 しかし、猫社会でもオスは縄張りやメス猫を巡って、優勝劣敗の厳しい闘いを繰り広げているのが実情であります。
水木先生は美女がとてもお好きだったそうです。
水木漫画に描かれる美女は、人物の作画を担当したアシスタントの交代によって画風の変遷があります。 それは「赤い花」のつげ義春であったり「男組」の池上遼一であったり、大先生に画力を認められた者たちの仕事でした。 大先生がペン入れを終えた画稿には、ただ鉛筆で丸に美女とだけ指示が書かれていたそうです。
水木作品に描かれる美女たちは、男を翻弄し男を食い尽くす魔性を持った女性達が多いような気がします。 それは魔女や妖怪や幽霊など、この世のものではないもの達の仮の姿でした。
水木作品の中で最もfemdomっぽいものを挙げるとするならば、それは「魔女モンロー」だと思います。
劇画家・水木しげるのプロダクションにアシスタントとして雇われたマリリン・モンローそっくりの金髪美女。 彼女は夜な夜なサパタを開き、日本のトップレベルの有力者達を暗殺しようと企む魔女だったのです。 水木は魔術による殺人に加担させられて警察に逮捕されてしまいます。 そこで彼は罪を不問にしてもらう代わりに、魔女退治に協力する事になるのでした。 魔術研究科・小西の協力を得て就寝中の魔女の身体を切り刻み、霊力を封印しようとしますが、あっけなく返り討ちにされてしまいます。 妖しいエロスと圧倒的な霊力で男たちを支配し、女王として君臨する魔女モンロー。 男達は生殺与奪の権を握られているために誰も逆らえません。
彼女を女王様と呼び、美と権力の前に跪く男達の姿を描いたこの作品には、間違いなくfemdomの精神が宿っていたと思います。
「魔女モンロー」©水木プロダクション
水木先生が女性美を魔性と捉え、その裏側に潜む暗黒面を描くのはなぜだろうと考えた時、氏が語る戦時中のエピソードが思い当たります。
水木先生は激戦の地・ラバウルに派遣された際に、エプぺという原住民の美女と知り合い、やがて彼女に惹かれていくようになります。 ご本人が仰るには、エプぺはそんじょそこらにいるような生半可な美女ではなく、絶世の美女だったそうです。彼女は病身で寝たきりの夫を支えながらも水木先生に好意を示し、よく果物や芋などを振舞ってくれました。 やがて終戦を迎え日本へと帰還する際に、親切にしてくれた原住民達に別れを告げようと水木先生がジャングルへと入っていくと…
滝の前で水浴びをするエプぺに遭遇しました。
裸身のまま、ニッコリと微笑みかけるエプぺの“この世のものとは思えぬ妖しい美しさ“に水木先生は息を飲みます。 現地の人たちは、聖域であるジャングルで男女の営みをするのが習わしでした。
その笑みは、別れを前にしたエプぺのOKのサインだったのです。
しかし、水木先生はエプぺの誘いには乗りませんでした。
若くて性欲を持て余した兵隊達には、あらかじめ“原住民の女性達”とは性行為をしないように上官から布告が出ていたのです。 現地の女性達の間で男性器が溶けてなくなる“ローソク病”という性病が流行っているので、注意するようにとのお達しでした。 後に水木先生は、彼女の誘いを受けなかった事について「ローソク病が怖かった」とハッキリと証言されています。
水木先生は原住民達にこの地に留まるよう熱心に勧められましたが、後ろ髪を引かれる思いで帰還します。 やがて仕事に忙殺されるようになると、当時を振り返って「もしあの時エプぺの誘いに乗っていたら今もラバウルで暮らし、漫画家・水木しげるは存在しなかったかもしれない」と運命の不思議さに思いを馳せていました。
水木作品における美女の、魔性の裏に潜む“美しいバラにはトゲがある”的な女性観はそんな体験が影響を与えてるのかなとふと思いました。
生還後は妻・布枝さんと見合い結婚をし、二人三脚で長い長い漫画道を歩んでこられました。
晩年、自分の仕事を陰で支えてくれた妻の功績を讃えながら「家内は私にとって空気のような存在。目に見えなくても大変な努力をしているんでしょうね。」と語っていたのがとても印象的でした。
マゾヒズムはいわば転落や下降願望であります。 戦中も戦後も毎日、生きるか死ぬかのギリギリのところで生きてきた水木先生には、マゾヒズムは芽生えなかったのではないかと思います。
マゾヒズムは平和で豊かな時代であるからこそ享受できる快楽ではないでしょうか。
晩年の水木先生は「水木サンの幸福論」を上梓されるなど、ご自分の幸福を実感されていたのだと思います。
この本の中で紹介された「幸福の七カ条」は世界中の幸福な人々・不幸な人々を観察してきた水木先生の体験から生み出された幸せになるための知恵だそうです。
幸福の七カ条
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。
今の僕にとって第三条「他人との比較ではない、あくまでも自分の楽しさを追求すべし。」という条項が深く心に沁みます。
水木しげる大先生のご冥福を心からお祈りしてこの項を終えたいと思います。