SMアートの巨人たち
日本におけるfemdom art の第一人者と言えば、何と言っても春川ナミオ画伯でしょう。
豊満な肉体を誇る美女が、その象徴的な双臀で、貧相なオス奴隷どもの顔面を虫ケラのように押し潰す…
女性の容貌はあくまでも美しく、その肉体美は完璧で、とてつもなく大きな存在として描かれています。 対してオス奴隷たちは例外なく醜く貧弱です。 女性に嬲り殺される為に生きている様な“無用で矮小な存在”として描かれ、両者の圧倒的な力の差が示されます。
氏の作品は、「支配する者とされる者の力学」を鉛筆一本の筆致で見事なまでに表現している“マゾ芸術の極致”と言えるでしょう。
この官能的な作品群は、50年もの長きに渡り多くのマゾ男性たちを魅了し、今もなお他の追随を許しません。
春川氏は、どちらかと言えば硬質で筋肉質な、いわゆるアマゾネスのごとき肉体を持った女性を好んで描かれています。 張り裂けんばかりに膨らんだ巨大な乳房や双臀は、柔らかい脂肪というよりは、弾力性を持った筋肉の鎧の様にも見えます。
切れ長で大きな目と鼻筋の通ったエキゾチックな顔立ちの美女達は、彼の厳然たるアニマとも言える理想のドミナ像なのでしょう。
それらの作品は、BBW(Big Beautiful Woman)というカテゴリーにおいて、海外のマニアからも高い評価を受けています。
男性Mの専門誌が存在しなかったその昔、SM誌の中で異彩を放っていたのが春川氏のM画でした。
一般のSM誌は、緊縛女性のグラビアやS小説が誌面の大半を占めていて、M男性向けの記事が占める割合は、おそらく10%もなかったと思います。 「SM○○」という誌名ながら、M物が全く掲載されていないものすら珍しくなかったのです。 それほど男性Mは異端視され、出版側からは売れないものと判断されていたのでしょう。
そんな中で春川ナミオ氏のMアートは光り輝いていました。 巻頭や巻末のグラビアを飾る4ページ程のイラストに加え、数少ないM小説の挿絵も担当するなど、当時すでにMのビジュアルの代名詞となっていました。
過激な表現を控えていた実写の女王様グラビアに対して、“首も折れよとばかりの重量感”で、マゾ奴隷どもの顔面を圧迫する春川アートは、迫力に満ちあふれていました。
氏の作品には鞭やロウソクなどの小道具はほとんど登場しません。 美女たちは、その圧倒的な肉体を凶器に変えて、哀れな小男達の顔面を蹂躙し、窒息させ、押し潰すのです。
男たちは抗う様子をほとんどみせません。 己の運命を受け入れているかの様にジッと耐えているのです。
それらの絵は不思議な静寂感に包まれています。
彼らは女性の尻の谷間で死ねる事をこの上ない幸福と捉えているかのようです。
この女性の肉体を最大限に生かした責めこそが、女性支配の真髄と呼べるのかもしれません。
さて、同じ時期にS男性の心を捕らえて離さなかったであろう緊縛絵師の活躍がありました。 数多くの官能的な作品を発表し続けていた劇画家でもあり、緊縛画の巨匠としても人気の高かった椋陽児氏です。
彼の描く“いたいけな美少女たちが、あられもない姿で縛られて凌辱されている”緊縛画は、芸術としても一級品だと思います。
処女性を穢され、恥辱にまみれた少女達の羞恥の表情は、秀逸を極めています。 リアルでは中々拝めないような、素晴らしい表情を浮かべているのです。
物憂げであり、悲愴感があり、悲哀感もあり、屈辱感もあり、静かな怒りや己が運命を呪う様な複雑な心情も見事に表現されています。 電車内で他人の目もはばからず、パンツ丸見えで床にあぐらをかいてしまう昨今の少女達には、絶対に浮かべる事ができない表情です(笑)
実際に元ネタとなった素材写真と比較してみても、モデルの女性より遥かに奥深い表情を見せています。
(椋陽児 イラスト&元ネタ展より)
また、椋氏の描く少女達は、華奢で儚げな容姿の娘が多いのですが、女性らしい丸みを帯びた肉感や色白で吸いつくようなもち肌感などの表現も実に素晴らしいものがあります。
実は、僕はこの手の清楚系美少女が大好物で、椋陽児氏には、ぜひ女王様画を描いて頂きたかった。
僕はどちらかと言えば、いかにも男を虐めるのが好きそうなタイプの女王様よりも、清楚で可憐なイメージを持つ女王様に惹かれます。
SMクラブでアルバム指名をする際は、M女寄りの女性を選ぶ傾向が強かったのです。
可憐な容姿と無邪気な冷酷さを併せ持ったギャップ萌えというのが、僕の女王様のツボでした。
椋氏の描く女性はどこか僕のご主人様を彷彿とさせます。
凛々しい眉、吸い込まれるような黒々と大きな瞳、小さくややポッテリとした口元、頬から顎にかけてのライン。
あどけない少女のようなお顔立ちからは想像できない厳しいご調教や冷酷なお仕置きを次々と繰り出され、マゾ男たちを魅了しているのです。
椋氏の劇画作品で、仮面を付けたS女性が描かれていたのを見た記憶があるのですが、それはステロタイプの女王様のイメージを脱けていなかった様な気がします。
そうではなく“羞恥に顔をゆがませていた美少女達”が、男たちに逆襲してきたらこんなイメージになるだろうというような画が見たかったのです。
普段M役に徹しているAV女優さんが、S役に転じると凄まじく冷酷で容赦が無い責めを行いますが、この立場の逆転をアートにして欲しかった。
少々脱線しましたが、SとMの相反する性癖を描いた“SM画壇の双璧”のきら星のごとく光り輝く作品群は、SM界の至宝とも言えるものです。
しかし、異端であるがゆえに中々一般の目に触れることもありませんし、出版数も少ないのが現状です。 出版されてもすぐに入手困難になってしまい、古書価格も高騰してしまうのです。
僕は学生時代に古書で買い集めたSM誌から、春川氏の作品やマゾグラビアを切り抜いて保存していましたが、今となってはこれも大変貴重なコレクションとなりました。
今回のエントリーではその中から夏らしいイメージの物をチョイスしてみました。
近年、幸か不幸か、ネットにおいては春川ナミオ作品が大量にUPされ出回っています。 また最近知ったのですが、長らく絶版だった椋陽児氏の劇画作品も今はKindleなどの電子書籍で手軽に読めるようです。
“マゾヒズムに花束を"の最新エントリーによると、今月17日から銀座のヴァニラ画廊で春川ナミオ氏の作品展が開催されるそうです。
今夏は仕事に忙殺されていて残念ながら時間が取れそうにありませんが、マゾヒストとして生まれたからには、日本が誇るfemdomアートの生の迫力をこの目で確認してから死にたいと思っています。
こうした特殊な絵画展を訪れるのは自己の願望を露呈するようで中々敷居が高いですが、観覧者は皆同好の士かドミナでしょう(笑)
今後も春川氏の益々のご活躍を期待したいと思います。
豊満な肉体を誇る美女が、その象徴的な双臀で、貧相なオス奴隷どもの顔面を虫ケラのように押し潰す…
女性の容貌はあくまでも美しく、その肉体美は完璧で、とてつもなく大きな存在として描かれています。 対してオス奴隷たちは例外なく醜く貧弱です。 女性に嬲り殺される為に生きている様な“無用で矮小な存在”として描かれ、両者の圧倒的な力の差が示されます。
氏の作品は、「支配する者とされる者の力学」を鉛筆一本の筆致で見事なまでに表現している“マゾ芸術の極致”と言えるでしょう。
この官能的な作品群は、50年もの長きに渡り多くのマゾ男性たちを魅了し、今もなお他の追随を許しません。
春川氏は、どちらかと言えば硬質で筋肉質な、いわゆるアマゾネスのごとき肉体を持った女性を好んで描かれています。 張り裂けんばかりに膨らんだ巨大な乳房や双臀は、柔らかい脂肪というよりは、弾力性を持った筋肉の鎧の様にも見えます。
切れ長で大きな目と鼻筋の通ったエキゾチックな顔立ちの美女達は、彼の厳然たるアニマとも言える理想のドミナ像なのでしょう。
それらの作品は、BBW(Big Beautiful Woman)というカテゴリーにおいて、海外のマニアからも高い評価を受けています。
男性Mの専門誌が存在しなかったその昔、SM誌の中で異彩を放っていたのが春川氏のM画でした。
一般のSM誌は、緊縛女性のグラビアやS小説が誌面の大半を占めていて、M男性向けの記事が占める割合は、おそらく10%もなかったと思います。 「SM○○」という誌名ながら、M物が全く掲載されていないものすら珍しくなかったのです。 それほど男性Mは異端視され、出版側からは売れないものと判断されていたのでしょう。
そんな中で春川ナミオ氏のMアートは光り輝いていました。 巻頭や巻末のグラビアを飾る4ページ程のイラストに加え、数少ないM小説の挿絵も担当するなど、当時すでにMのビジュアルの代名詞となっていました。
過激な表現を控えていた実写の女王様グラビアに対して、“首も折れよとばかりの重量感”で、マゾ奴隷どもの顔面を圧迫する春川アートは、迫力に満ちあふれていました。
氏の作品には鞭やロウソクなどの小道具はほとんど登場しません。 美女たちは、その圧倒的な肉体を凶器に変えて、哀れな小男達の顔面を蹂躙し、窒息させ、押し潰すのです。
男たちは抗う様子をほとんどみせません。 己の運命を受け入れているかの様にジッと耐えているのです。
それらの絵は不思議な静寂感に包まれています。
彼らは女性の尻の谷間で死ねる事をこの上ない幸福と捉えているかのようです。
この女性の肉体を最大限に生かした責めこそが、女性支配の真髄と呼べるのかもしれません。
さて、同じ時期にS男性の心を捕らえて離さなかったであろう緊縛絵師の活躍がありました。 数多くの官能的な作品を発表し続けていた劇画家でもあり、緊縛画の巨匠としても人気の高かった椋陽児氏です。
彼の描く“いたいけな美少女たちが、あられもない姿で縛られて凌辱されている”緊縛画は、芸術としても一級品だと思います。
処女性を穢され、恥辱にまみれた少女達の羞恥の表情は、秀逸を極めています。 リアルでは中々拝めないような、素晴らしい表情を浮かべているのです。
物憂げであり、悲愴感があり、悲哀感もあり、屈辱感もあり、静かな怒りや己が運命を呪う様な複雑な心情も見事に表現されています。 電車内で他人の目もはばからず、パンツ丸見えで床にあぐらをかいてしまう昨今の少女達には、絶対に浮かべる事ができない表情です(笑)
実際に元ネタとなった素材写真と比較してみても、モデルの女性より遥かに奥深い表情を見せています。
(椋陽児 イラスト&元ネタ展より)
また、椋氏の描く少女達は、華奢で儚げな容姿の娘が多いのですが、女性らしい丸みを帯びた肉感や色白で吸いつくようなもち肌感などの表現も実に素晴らしいものがあります。
実は、僕はこの手の清楚系美少女が大好物で、椋陽児氏には、ぜひ女王様画を描いて頂きたかった。
僕はどちらかと言えば、いかにも男を虐めるのが好きそうなタイプの女王様よりも、清楚で可憐なイメージを持つ女王様に惹かれます。
SMクラブでアルバム指名をする際は、M女寄りの女性を選ぶ傾向が強かったのです。
可憐な容姿と無邪気な冷酷さを併せ持ったギャップ萌えというのが、僕の女王様のツボでした。
椋氏の描く女性はどこか僕のご主人様を彷彿とさせます。
凛々しい眉、吸い込まれるような黒々と大きな瞳、小さくややポッテリとした口元、頬から顎にかけてのライン。
あどけない少女のようなお顔立ちからは想像できない厳しいご調教や冷酷なお仕置きを次々と繰り出され、マゾ男たちを魅了しているのです。
椋氏の劇画作品で、仮面を付けたS女性が描かれていたのを見た記憶があるのですが、それはステロタイプの女王様のイメージを脱けていなかった様な気がします。
そうではなく“羞恥に顔をゆがませていた美少女達”が、男たちに逆襲してきたらこんなイメージになるだろうというような画が見たかったのです。
普段M役に徹しているAV女優さんが、S役に転じると凄まじく冷酷で容赦が無い責めを行いますが、この立場の逆転をアートにして欲しかった。
少々脱線しましたが、SとMの相反する性癖を描いた“SM画壇の双璧”のきら星のごとく光り輝く作品群は、SM界の至宝とも言えるものです。
しかし、異端であるがゆえに中々一般の目に触れることもありませんし、出版数も少ないのが現状です。 出版されてもすぐに入手困難になってしまい、古書価格も高騰してしまうのです。
僕は学生時代に古書で買い集めたSM誌から、春川氏の作品やマゾグラビアを切り抜いて保存していましたが、今となってはこれも大変貴重なコレクションとなりました。
今回のエントリーではその中から夏らしいイメージの物をチョイスしてみました。
近年、幸か不幸か、ネットにおいては春川ナミオ作品が大量にUPされ出回っています。 また最近知ったのですが、長らく絶版だった椋陽児氏の劇画作品も今はKindleなどの電子書籍で手軽に読めるようです。
“マゾヒズムに花束を"の最新エントリーによると、今月17日から銀座のヴァニラ画廊で春川ナミオ氏の作品展が開催されるそうです。
今夏は仕事に忙殺されていて残念ながら時間が取れそうにありませんが、マゾヒストとして生まれたからには、日本が誇るfemdomアートの生の迫力をこの目で確認してから死にたいと思っています。
こうした特殊な絵画展を訪れるのは自己の願望を露呈するようで中々敷居が高いですが、観覧者は皆同好の士かドミナでしょう(笑)
今後も春川氏の益々のご活躍を期待したいと思います。