女性器アーティストの聖戦
漫画家で女性器アーティストのろくでなし子嬢が表現の自由を求めて、警察権力に性戦を挑んでいます。
昨年、女性器を型どったボートを製作する目的で寄付金を募り、協力者に謝礼として自らの女性器の3Dデータを頒布したとして逮捕。 容疑は「わいせつ電磁的記録媒体頒布」という舌を噛みそうな名称でした。
以前から“デコマン”と称する女性器を型取りしたポップアートの作品展や、女性器グッズ等の製作販売を行っているのを見ていた僕は「ユニークな感性を持った女性だなぁ^o^」と注目していました。
御歳42歳だそうですが、童顔で中々愛らしいお顔だちをされています。
処分保留のまま釈放された彼女は、表現者であるがゆえに逮捕や勾留の際の“警察の横暴や欺瞞”を漫画や講演会、マスコミ取材などを通じて訴え「漫画のネタもできて連載も決まり、海外から取材もたくさん受けられてよかったことだらけ」などと挑発とも取れる発言をしていました。
それが警察の逆鱗に触れたのか、今度は猥褻物公然陳列の容疑で再逮捕。
“女性向けアダルトショップ”という特殊な場所で、猥褻物と認定するにはいささか疑問が残るアート作品展示を巡っての逮捕劇は、海外メディアをも巻き込んで各方面で物議を醸しています。
マスコミも“自称・女性器アーティスト”として報道するあたりにお得意の情報操作を感じます。
「そんなもん誰もアートとは認めてないから!」というわけですね。
しかし、女性器をモチーフにした彼女の創作活動は、逮捕前から他ならぬマスコミ自身によって世間に周知され、多くのファンを獲得していたわけですから今さら“自称”とするのは無理があります。
さらに再逮捕後には各紙「芸術家」と言う表現を排除し、漫画家と言う肩書きで紹介しているようです。
松沢呉一氏によるとこれには再逮捕前、東京芸大辺りからも ろくでなし子支持の声が上がり始めた為に、そうした声を警戒する警察の意図を感じるそうです。
そして、改めて猥褻の標的をアート作品に移しての再逮捕も、女性器を型どった造形物を猥褻と判断した過去の判例を踏まえて 3Dデータより言い逃れ出来ないと考えたからだろうと推測しています。
捜査関係者の話によると、ろくでなし子さんは「取り調べでも直截的な3文字表現を使って自論を主張していた」為、供述調書がマ○コという表現で溢れたのだとか(笑)
東京地裁の「勾留理由開示公判」でも同様の3文字表現で意見を述べて、裁判官に怒られた一幕もあったそうです。
いや、このブレなさはすばらしい^ ^
今回、彼女は起訴されたので、またぞろ猥褻か表現の自由かの線引きが、法廷で争われる事になりました。 しかし、日本の裁判は起訴されると99.98%が有罪とされている為、かなり厳しい戦いになる事は明らかです。
映画、文学、写真、絵画、彫刻、コミック、アート作品等々。 およそ芸術と呼ばれるほとんどの分野で過去に猥褻を巡る論争が起きています。
彼女は一貫して“女性器は手足と同様に私の身体の一部。私の身体は猥褻じゃない"と主張をしています。
ろくでなし子さんが仰るとおり、女性器は不浄でもなければ猥褻でもありません。
女性器を卑猥だと感じる人間の意識が猥褻なのだと思います。
女性器はマゾヒスト男性にとって、敬愛する女性の身体の一部分というだけでなく、いわば女性崇拝の要とも言うべき神聖な場所です。
その神秘性には多くのマゾ男性達が憧憬と畏敬の念を抱いています。
しかし、男性器に比べると女性器はタブー視されてきたばかりではなく“不浄な物”という不当な扱いを受けてきました。
その呼称も口にするのも憚られるという様な風潮がずっと続いてきたわけです。
では何故女性器は今日までタブー視され続けてきたのでしょうか?
これは女性器に激しい畏れを抱いていた男達の陰謀ではないのか?∑(゚Д゚)
男達は新たな生命を宿す能力を持った女性達に潜在的な恐怖を感じていたのでしょう。
古来から女性器には魔除けの様な力が備わっていると考えられていたようです。
神話や民話でも化け物や鬼を喰らうとされる女性器の伝承が残っています。 膣に歯牙が生えていて男根を喰いちぎるヴァギナ・デンタータの伝説も世界各地にあります。
これらは女性器恐怖が顕在化したものではないでしょうか?
まるで女性器が底知れない闇へと繋がっている入り口であるかのごとく語られてきたのです。
女性器はグロテスクで恐ろしい怪物ではなく、神々しい女神達の核心です。
その美しい形状はこの世で最もアーティスティックでエロスに満ち溢れています。
ろくでなし子さんの創作活動の根底にあるのは女性器の復権です。
“もっとポジティブに捉えてオープンに扱おうよ”という事なのでしょう。
しかし、単に一マゾヒストの見解ではありますが、僕には“神聖”であるからこそある種の秘匿性も必要ではないかという思いがどこかにあります。
それは卑しいものだから隠蔽するのではなく、神々しいものだから秘匿されるのだという捉え方です。
御神体は人目に晒されることなく本殿の奥に秘匿された方がより神秘的で価値あるものとなります。
ドミナは奴隷の面前でみだりに全裸になったりはしません。 それは恥じらいからではなく奴隷ごときにむやみに拝観させるものではないという意識の表れです。
対して、奴隷は着衣を許されず醜い男性器を晒し、卑小な存在としてドミナの足元に這いつくばるのです。
唯一奴隷を物として扱う時、ドミナは奴隷の顔に跨がります。 便器やビデに対して恥じらう女性がいないのと同様です。
下から見上げる女性器は神々しくて眩しいです。
無遠慮に直視するのは躊躇われるので、迸り出る神の水を飲み干す事に神経を集中させます。
それはドミナにとってただの生理現象であっても、奴隷にとっては崇高な儀式です。 神の様に崇めるドミナの中心が恵んでくださった水は、奴隷の穢れを浄化してくれるのです。
家畜人ヤプーのラストシーンで、イース帝国の住人となったクララはイース青年ウィリアムと婚約します。 そして今はヤプーとなったかつての婚約者リンに地球面に戻る最後のチャンスを与えます。 しかしリンはそれを拒み、クララに隷属してでもイースにとどまりたいと哀願するのです。
クララは両の足を開き、その中心部を指差してこう言います。
“お前はあたしのここに仕えるんだよ。”
リンは「本望です。あなたのそこに仕える為に私は生まれたんです。」とその部分へ崇敬の眼差しを向けるのです。
©石森プロ
女性器への隷従はマゾヒスト男性の本懐です。
権力に猥褻物などという下卑た表現で貶めて欲しくないと願っています。
今後、難しい裁判を闘うことになるであろうアーティスト・ろくでなし子さんのご健闘をお祈りしています。