苦痛系マゾの羞恥シーン
僕は元々、社会との繋がりが希薄な人間なので、成人してからは対人関係で恥ずかしい思いをしたという経験がほとんどありません。 しかし、どちらかといえばシャイな性格で、本来 羞恥心は人一倍強い方だと思うのです。
思春期の頃は、思いを寄せる女性の前ではガチガチに緊張したので、周囲にはすぐに恋愛感情を見透かされていました。 フツメンの女子には反応しないのですが、美人の前では顔が紅潮し、言葉がしどろもどろになります。 全身から汗が吹き出し、身体が小刻みに震えることでますます恥ずかしさを増長させます。
当時から普通の人が持つ恋愛感情とは異質の、被虐的な妄想に浸っていました。
「こんな 可愛い子に虐められたい!」
ノーマルな恋愛感情ではないという後ろめたさが、相手の前でより緊張を強いていたのかもしれません。 リビドーを揺さぶる甘美な羞恥心が芽生え始めた瞬間です。
SMクラブに通っていた頃は、自分の恥ずかしい願望を書面にしたためてプレイ前に女王様に渡していました。 女王様がソファに腰掛けてそれを読んでいる間、僕は足元に正座し、うつむきながらもチラチラと彼女の反応を窺います。 一つ一つうなずく様に目を通し、時おり“フーン”とか“へー”とか声を漏らしながら読み進められる女王様。
“たった今、目の前で自分の恥ずかしい願望を読まれている” そう考えただけで顔がほてり、身体が熱くなります。 特に初対面の女王様の前では顕著でした。
複数女王様の場合など「お前の恥ずかしい願望を私たちに読んで聞かせなさい」とのご命令を頂いた事もあります。
「えー!? …口で伝えるのが恥ずかしいから、わざわざ書いてきてるのに…(´Д` )」(エゴマゾの心の声)
ところが、いざプレイが始まってみるとそれほど羞恥心は喚起されない…
僕はどちらかと言えば痛いのや熱いのを好む苦痛系マゾなので、浣腸やアナルを犯されたりする凌辱系のプレイを避けてきたという事もあります。 また、SMクラブでの辱めというのは一種の“お約束ごと”だと考えているので、実際にはそれほど恥ずかしい思いはありません。
女王様というのはM男性の性癖に一定の理解をもって、この世界に飛び込んできた方達です。 ベテラン女王様ともなれば これまで何百、何千というM男の恥態(痴態)を見てきていることでしょう。 いわばプロ中のプロです。 そうしたある種の“信頼感”や“安心感”を前提にM男は女王様の前で心を開き、自らの変態願望を解放しているのだと思います。
ですからプレイ前、女王様が一人の女性として素でいられる時が一番恥ずかしい。
以前、とあるSMクラブでこんな経験をしたことがあります。
まだ風営法の改正前、マンションの一室に受付やプレイルームを置いていた時代の話です。
僕はそのクラブの常連客だったからか、受付の男性からこんな相談を持ちかけられました。
「今、女王様の面接に来ている女性がいるのですが、お客様のプレイを見学させて貰ってもよろしいでしょうか?」
僕はそれまで、W女王様コースにも何度も入っていたので、この申し入れを快諾しました。
会計を済ませて先にホテルの部屋に入って待っていると、程なくして指名した女王様が見学希望の女性と連れ立ってやって来ました。 よくある事ですが、女王様がアルバムから受けた印象と違っていた為、落胆しかけたその時です。
後ろに控えていた見学希望の女性に挨拶をされたので、あらためてその方のお顔をまじまじと見ると・・・なんとアイドル級の容姿を持った美少女だったのです!
艶やかでサラサラな髪、大きく澄んだ瞳、鼻筋が通り、上品な口元からは恥ずかしそうな笑みがこぼれています。
ナチュラルで清潔感溢れる雰囲気は、清楚系が大好きな僕の理想のタイプの女性でした。
彼女はまだ未成年で、風俗経験も全くない素人だという事でした。 ついこの間までJKだったというだけでも、かなり興奮させられます。 若くて可憐な女性が、目の前にいる全裸の変態男を好奇心全開で見つめているのです。
彼女はプレイには参加せず、ベッドの隅で女性座りになって僕と女王様のプレイを鑑賞していました。
僕はと言えば、失礼ながらもう目の前の女王様よりもその美少女の方に関心が移ってしまい、彼女の視線が気になって仕方がありません。
四つん這いで奴隷のご挨拶をさせられ、女王様に乗馬鞭で執拗に尻や背中を叩かれます。 ヒンヒンと鳴き声を上げながらも、僕は股間が熱く屹立しているのを感じていました。
しかし、それはプレイによる興奮からではなく、おそらくは今はまだ素人である美少女に恥態を見られているという羞恥心からくるものだったと思います。 彼女の美しい瞳に映っているであろう自分の情けない姿。 眼前の変態マゾ男に向けた軽蔑の感情を想像して勃起したのです。
女王様は僕の股間の変化をなじると、イヌのチンチンの様な格好でその部分を美少女にお見せする様 命じました。 彼女はベッドから身を乗り出して含み笑いを浮かべながら、いたずらっぽい目で僕のいきり立った股間と情けない顔を交互に見比べます。
僕は羞恥心全開でクラクラとめまいがしました。
その後、ビンタや熱蝋責めへとプレイは進行していきましたが、彼女はほとんど無言で、しかし興味深げに僕の恥態を観察し続けていました。
プレイも終盤に差し掛かり、女王様の聖水を頂く事になりました。 僕は床に手をついたまま首を少し上に傾け、仁王立ちの女王様の股間に口をあてます。 ジョロジョロと流れ出る聖水を喉を鳴らして飲み込みながら、美少女の視線が気になっていました。
すると女王様が「ビックリしちゃった?」と彼女に笑いながら声をかけています。 「フフ、マゾは女性のオシッコが大好きなのよ」と女王様。
ようやく聖水を飲み終えて彼女の方に目をやると、目の前で排泄物を飲み干す男を“信じられない”という目つきで見つめています。 先ほどまでとは少し様子が違い、呆れたような、汚らしいものを見るような表情を浮かべているのです。
どうやら聖水拝受は、未成年の少女に結構な衝撃を与えたようでした。
しかし、女王様が「貴女も飲ませてみる?」と声をかけると、彼女はほんの少し考えてから頷きました。 この好奇心と順応性も若さでしょうか、僕は心の中で小躍りして喜びました。
超絶美少女の聖水が戴ける! !︎
さすがに直接拝受ではありませんでしたが、トイレで洗面器にかなりの量の黄色い液体を出してきてくれました。 僕はすでに胃の中がガボガボでしたが、犬の様に這いつくばって彼女が出してくれた聖水を一滴余さず飲み干しました。
洗面器が空になると美少女は、少し顔をしかめて「気持ちわる〜い」と一瞥し「変態! !︎」と僕の事を罵りました。 僕は羞恥心を喚起され、又々 はしたなく股間を膨らませてしまったのです。
最初は緊張からか あまり言葉すら発しなかった彼女でしたが、自分の排泄物を飲んだ男という侮蔑心が芽生え “こいつになら何をしてもいいんだ” という認識に至ったようです。
女王様は仰向けになった僕の顔面を指差し「唾をかけていいよ」とか「思い切り踏んでやって」と彼女を促します。 僕は唾でドロドロになった顔面をスリッパの裏で踏みにじられ、ウットリとしていました。
すると女王様はすかさず乗馬鞭の先端で僕のペニスを小突きながら
「何してるの!?お前がはしたなく自分でやってる所をお見せするんでしょ?」と叱咤されます。 僕はかつて味わったことがないほどの羞恥心にまみれながら、夢中で怒張を擦りあげて二人の面前で果てました。
初めて変態を目の前にした少女の素人目線と、清楚な風貌が僕の羞恥心を最大限に掻き立てたのです。
その後、僕は彼女の事が忘れられず、しばらく店の広告やアルバムをチェックしていました。 しかし結局、 彼女がその店に入店する事はありませんでした。
“今頃、彼女は僕の恥態を友人たちに話して嘲笑しているかもしれない… ”そんな事を想像するだけで恥ずかしさが蘇り、興奮したものでした。 しかし、もし仮に彼女があの店で女王様になっていたとしても、あの時のような強い羞恥を感じるプレイは出来なかっただろうと思うのです。
そして、もう一つ 僕の恥ずかしい過去の体験を紹介します。
初心者の頃、僕は当時加入していたSMサークルで黄金を除いた一通りのプレイを体験しました。 2回目の調教の時に、初めて女王様から浣腸をして頂きました。
どの位の量を入れられたのかハッキリとは覚えていませんが、すぐに辛い感覚に陥りました。 女王様は初心者奴隷に排便をこらえさせながら、さらに鞭やローソク責めで追い込もうとしていたのだと思います。 ところが僕は元々、腸があまり強くないので、すぐに脂汗が吹き出るほどの苦痛に襲われました。
内臓の痛みは、身体に直接与えられる痛みとは全く別物でした。 たえがたい痛みでSMプレイに集中するどころではありません。 わずか数分でこらえきれなくなり、プレイルームの高価そうな絨毯の上に軟便を漏らし始めてしまいました。 これには女王様も大あわてです。
「あ、馬鹿! !︎ お前はなんて事するの! ?︎」
しかし、一度漏れ出した排泄物は容易には止まりません。 僕は汚物を垂れ流しながらユニットバスへと引きずられていきました。
女王様は焦らしに焦らした後、奴隷が我慢の限界に達したところで排泄を許可し、その恥態をつぶさに観察しながら言葉責めで羞恥心を煽ろうと考えていたに違いありません。 プレイルームの片隅にある四角い檻の中にはオマルが用意されていました。 しかし奴隷の思いがけない粗相でそれどころではなくなってしまったのです。 僕の肛門括約筋が、こんなにも緩いことは想定外だったのでしょう。
僕は消え入りたい気持ちで、残った腸の内容物を全て便器に排泄し、シャワーでアナル周辺を洗い流しました。 部屋に戻ると女王様は、僕の粗相の後始末をされていました。
洗剤を付けたタオルで念入りに絨毯を拭い、匂いが残らない様に香水を吹きかけていました。
僕は恥ずかしさと面目なさで何もできずに、部屋の入口に突っ立ってボーっとその光景を眺めていました。
突然のアクシデントによって現実に引き戻された僕は、おそらくは女王様の最初のもくろみ以上に羞恥にまみれていたと思います。
しかし、これは性的快感とは無関係の羞恥心でした。 その後プレイを再開したものの、僕の股間は終始うなだれたままだったのです。
この二つのエピソードは、僕のSM歴の中でも特に鮮明に記憶に残っている羞恥体験ですが、両者は恥ずかしさの性質が全く異なります。 前者はリビドーに直結したマゾ的な羞恥感覚であり、後者は単なる失敗談に過ぎません。 前者が甘美な思い出として残したい記憶であるならば、後者はできれば忘却の彼方に葬り去りたい忌わしい記憶です。
しかし羞恥心や恥辱感が、本人にとって“不本意”であるがゆえに沸き起こる感情とするならば、後者の方が本来の言葉の意味を満たしている様な気がします。
“密室で女王様と一対一で行われるルールに則ったプレイ”で引き起こされる羞恥感覚は、性的興奮を高揚させるマゾヒスト特有の感情で、本来の羞恥心とは似て非なるものだと僕は解釈しています。
ヤプーズマーケットを初めとするM男向けのDVD作品には、半裸で首輪を着けられ、衆人環視の中を引き回される際どいシーンが結構あります。 老若男女問わぬ衆目に恥態を晒される行為は、並の神経では耐えられません。
これが、本人の意思に反して無理やり行われたのだとしたら、プレイの範疇を超えた精神的拷問になると思います。
しかし、予めM男の了解を得て撮られたものだとしたら、どんなに厳しい状況であっても擬似的なものを感じてしまいます。 それはマゾヒストにとって、あくまでも被虐的快楽に結びつく羞恥プレイです。 “思い出しても赤面する、もう懲り懲り”といつまでも心の中にトラウマとして残っているのが本来の羞恥心ではないでしょうか。
マゾヒストがそれを快と感じるか、不快と感じるか? 勃起するか?あるいは委縮するのか?
もちろん自分がこうした状況に追い込まれたら、ヘタレて速攻 逃げ出す事は間違いありません
こうしたシチュエーションを快楽に転化できるという才能には驚嘆します。
マゾヒズムは通常の社会生活を営む上で、他人には絶対知られたくない恥ずかしい性癖だという思いがあります。 密室における女王様との二人だけの秘め事にしておきたいと考えるのが、多くのM男性の本音であると思うのです。
その心理を突いた過激な羞恥プレイではありますが、僕にとってはあまりにハードルが高く無縁な代物です。
さて「家畜人ヤプー」の沼正三氏が、著書「ある夢想家の手帳から」の中で明かしたところによると、彼は“精神的に凌辱を受けることにこそマゾヒズムを刺激されていた”そうです。
“肉体的苦痛で快感を得るだけの者は真のマゾヒストにあらず!”とも言い切っています。
鞭打たれた場合でも、その先に潜む精神的凌辱感こそが被虐の深淵であって、単に肉体的苦痛に溺れている者とは区別するべきだと主張しているのです。
僕の様な肉体的苦痛系マゾは全否定ですか! ?︎( ̄O ̄;)
沼氏が若かった時代には現在のSMクラブの様な形態はありませんでした。
氏は自身のマゾヒズムを満たす為に、驚くべき行動力と知恵をもって一般女性からサディスティックな一面を引き出し、彼女達に蔑まれることに成功していました。 そんな彼だからこそ下せた定義だとも思えます。
しかし、僕には沼氏が追い求めていた“精神的陵辱”もどこか作為的な面があり、真の辱めではないような気がします。
極端なことを言えば、僕の場合、憧れている女性に頭から聖水をかけられても、それほどの恥辱は感じません。
実際にご主人様とのご調教で毎回、顔面に聖水をかけて頂いていますが、これを感謝の念をもって拝受しています。
崇拝している女性に屈辱的行為を受けても、奴隷である僕の自我が傷つく事はありません。
しかし、これが、もし嫌いなタイプの女性の場合だったら多少屈辱を感じると思います。
さらに、相手が男だとしたら、殺意を覚えるほどの屈辱感に見舞われると思うのです。 それは激しく自尊心を傷つけられるからに他なりません。
マゾヒストにとってのリビドーを刺激する羞恥心や恥辱感は、本来の意味とは次元の異なる特別の感情であるような気がしています。
もちろん、作為的であったり、擬似的であることが悪いと言っているわけではありません。
SMはそうした様々な約束事の上に成り立っている知的な大人の遊びです。
僕は、敬愛するドミナへの崇拝心や服従心が本物であればそれでいいと思います。
また、沼氏がはっきりと分けるべきであると主張する肉体的苦痛と精神的凌辱ですが、現実にはこの二つの性癖をどちらも有しているマゾヒストも多いのではないかと思います。
実際、僕自身のマゾヒズムも様々な被虐願望や複数のフェティシズムが混沌と入り混じり、どんどん肥大化しています。 そんなに単純に分類できるものでもありません。
僕も肉体的苦痛が主体とはいえ、女性に鞭打たれる事によって、恥辱感を感じることはあります。 ですから、マゾヒストの端くれくらいは名乗らせて貰う事は許されるのではないかと思うのですが…
ダメですか? ダメ!?
ダメならブログのタイトルを変えるしかありません(>_<)
思春期の頃は、思いを寄せる女性の前ではガチガチに緊張したので、周囲にはすぐに恋愛感情を見透かされていました。 フツメンの女子には反応しないのですが、美人の前では顔が紅潮し、言葉がしどろもどろになります。 全身から汗が吹き出し、身体が小刻みに震えることでますます恥ずかしさを増長させます。
当時から普通の人が持つ恋愛感情とは異質の、被虐的な妄想に浸っていました。
「こんな 可愛い子に虐められたい!」
ノーマルな恋愛感情ではないという後ろめたさが、相手の前でより緊張を強いていたのかもしれません。 リビドーを揺さぶる甘美な羞恥心が芽生え始めた瞬間です。
SMクラブに通っていた頃は、自分の恥ずかしい願望を書面にしたためてプレイ前に女王様に渡していました。 女王様がソファに腰掛けてそれを読んでいる間、僕は足元に正座し、うつむきながらもチラチラと彼女の反応を窺います。 一つ一つうなずく様に目を通し、時おり“フーン”とか“へー”とか声を漏らしながら読み進められる女王様。
“たった今、目の前で自分の恥ずかしい願望を読まれている” そう考えただけで顔がほてり、身体が熱くなります。 特に初対面の女王様の前では顕著でした。
複数女王様の場合など「お前の恥ずかしい願望を私たちに読んで聞かせなさい」とのご命令を頂いた事もあります。
「えー!? …口で伝えるのが恥ずかしいから、わざわざ書いてきてるのに…(´Д` )」(エゴマゾの心の声)
ところが、いざプレイが始まってみるとそれほど羞恥心は喚起されない…
僕はどちらかと言えば痛いのや熱いのを好む苦痛系マゾなので、浣腸やアナルを犯されたりする凌辱系のプレイを避けてきたという事もあります。 また、SMクラブでの辱めというのは一種の“お約束ごと”だと考えているので、実際にはそれほど恥ずかしい思いはありません。
女王様というのはM男性の性癖に一定の理解をもって、この世界に飛び込んできた方達です。 ベテラン女王様ともなれば これまで何百、何千というM男の恥態(痴態)を見てきていることでしょう。 いわばプロ中のプロです。 そうしたある種の“信頼感”や“安心感”を前提にM男は女王様の前で心を開き、自らの変態願望を解放しているのだと思います。
ですからプレイ前、女王様が一人の女性として素でいられる時が一番恥ずかしい。
以前、とあるSMクラブでこんな経験をしたことがあります。
まだ風営法の改正前、マンションの一室に受付やプレイルームを置いていた時代の話です。
僕はそのクラブの常連客だったからか、受付の男性からこんな相談を持ちかけられました。
「今、女王様の面接に来ている女性がいるのですが、お客様のプレイを見学させて貰ってもよろしいでしょうか?」
僕はそれまで、W女王様コースにも何度も入っていたので、この申し入れを快諾しました。
会計を済ませて先にホテルの部屋に入って待っていると、程なくして指名した女王様が見学希望の女性と連れ立ってやって来ました。 よくある事ですが、女王様がアルバムから受けた印象と違っていた為、落胆しかけたその時です。
後ろに控えていた見学希望の女性に挨拶をされたので、あらためてその方のお顔をまじまじと見ると・・・なんとアイドル級の容姿を持った美少女だったのです!
艶やかでサラサラな髪、大きく澄んだ瞳、鼻筋が通り、上品な口元からは恥ずかしそうな笑みがこぼれています。
ナチュラルで清潔感溢れる雰囲気は、清楚系が大好きな僕の理想のタイプの女性でした。
彼女はまだ未成年で、風俗経験も全くない素人だという事でした。 ついこの間までJKだったというだけでも、かなり興奮させられます。 若くて可憐な女性が、目の前にいる全裸の変態男を好奇心全開で見つめているのです。
彼女はプレイには参加せず、ベッドの隅で女性座りになって僕と女王様のプレイを鑑賞していました。
僕はと言えば、失礼ながらもう目の前の女王様よりもその美少女の方に関心が移ってしまい、彼女の視線が気になって仕方がありません。
四つん這いで奴隷のご挨拶をさせられ、女王様に乗馬鞭で執拗に尻や背中を叩かれます。 ヒンヒンと鳴き声を上げながらも、僕は股間が熱く屹立しているのを感じていました。
しかし、それはプレイによる興奮からではなく、おそらくは今はまだ素人である美少女に恥態を見られているという羞恥心からくるものだったと思います。 彼女の美しい瞳に映っているであろう自分の情けない姿。 眼前の変態マゾ男に向けた軽蔑の感情を想像して勃起したのです。
女王様は僕の股間の変化をなじると、イヌのチンチンの様な格好でその部分を美少女にお見せする様 命じました。 彼女はベッドから身を乗り出して含み笑いを浮かべながら、いたずらっぽい目で僕のいきり立った股間と情けない顔を交互に見比べます。
僕は羞恥心全開でクラクラとめまいがしました。
その後、ビンタや熱蝋責めへとプレイは進行していきましたが、彼女はほとんど無言で、しかし興味深げに僕の恥態を観察し続けていました。
プレイも終盤に差し掛かり、女王様の聖水を頂く事になりました。 僕は床に手をついたまま首を少し上に傾け、仁王立ちの女王様の股間に口をあてます。 ジョロジョロと流れ出る聖水を喉を鳴らして飲み込みながら、美少女の視線が気になっていました。
すると女王様が「ビックリしちゃった?」と彼女に笑いながら声をかけています。 「フフ、マゾは女性のオシッコが大好きなのよ」と女王様。
ようやく聖水を飲み終えて彼女の方に目をやると、目の前で排泄物を飲み干す男を“信じられない”という目つきで見つめています。 先ほどまでとは少し様子が違い、呆れたような、汚らしいものを見るような表情を浮かべているのです。
どうやら聖水拝受は、未成年の少女に結構な衝撃を与えたようでした。
しかし、女王様が「貴女も飲ませてみる?」と声をかけると、彼女はほんの少し考えてから頷きました。 この好奇心と順応性も若さでしょうか、僕は心の中で小躍りして喜びました。
超絶美少女の聖水が戴ける! !︎
さすがに直接拝受ではありませんでしたが、トイレで洗面器にかなりの量の黄色い液体を出してきてくれました。 僕はすでに胃の中がガボガボでしたが、犬の様に這いつくばって彼女が出してくれた聖水を一滴余さず飲み干しました。
洗面器が空になると美少女は、少し顔をしかめて「気持ちわる〜い」と一瞥し「変態! !︎」と僕の事を罵りました。 僕は羞恥心を喚起され、又々 はしたなく股間を膨らませてしまったのです。
最初は緊張からか あまり言葉すら発しなかった彼女でしたが、自分の排泄物を飲んだ男という侮蔑心が芽生え “こいつになら何をしてもいいんだ” という認識に至ったようです。
女王様は仰向けになった僕の顔面を指差し「唾をかけていいよ」とか「思い切り踏んでやって」と彼女を促します。 僕は唾でドロドロになった顔面をスリッパの裏で踏みにじられ、ウットリとしていました。
すると女王様はすかさず乗馬鞭の先端で僕のペニスを小突きながら
「何してるの!?お前がはしたなく自分でやってる所をお見せするんでしょ?」と叱咤されます。 僕はかつて味わったことがないほどの羞恥心にまみれながら、夢中で怒張を擦りあげて二人の面前で果てました。
初めて変態を目の前にした少女の素人目線と、清楚な風貌が僕の羞恥心を最大限に掻き立てたのです。
その後、僕は彼女の事が忘れられず、しばらく店の広告やアルバムをチェックしていました。 しかし結局、 彼女がその店に入店する事はありませんでした。
“今頃、彼女は僕の恥態を友人たちに話して嘲笑しているかもしれない… ”そんな事を想像するだけで恥ずかしさが蘇り、興奮したものでした。 しかし、もし仮に彼女があの店で女王様になっていたとしても、あの時のような強い羞恥を感じるプレイは出来なかっただろうと思うのです。
そして、もう一つ 僕の恥ずかしい過去の体験を紹介します。
初心者の頃、僕は当時加入していたSMサークルで黄金を除いた一通りのプレイを体験しました。 2回目の調教の時に、初めて女王様から浣腸をして頂きました。
どの位の量を入れられたのかハッキリとは覚えていませんが、すぐに辛い感覚に陥りました。 女王様は初心者奴隷に排便をこらえさせながら、さらに鞭やローソク責めで追い込もうとしていたのだと思います。 ところが僕は元々、腸があまり強くないので、すぐに脂汗が吹き出るほどの苦痛に襲われました。
内臓の痛みは、身体に直接与えられる痛みとは全く別物でした。 たえがたい痛みでSMプレイに集中するどころではありません。 わずか数分でこらえきれなくなり、プレイルームの高価そうな絨毯の上に軟便を漏らし始めてしまいました。 これには女王様も大あわてです。
「あ、馬鹿! !︎ お前はなんて事するの! ?︎」
しかし、一度漏れ出した排泄物は容易には止まりません。 僕は汚物を垂れ流しながらユニットバスへと引きずられていきました。
女王様は焦らしに焦らした後、奴隷が我慢の限界に達したところで排泄を許可し、その恥態をつぶさに観察しながら言葉責めで羞恥心を煽ろうと考えていたに違いありません。 プレイルームの片隅にある四角い檻の中にはオマルが用意されていました。 しかし奴隷の思いがけない粗相でそれどころではなくなってしまったのです。 僕の肛門括約筋が、こんなにも緩いことは想定外だったのでしょう。
僕は消え入りたい気持ちで、残った腸の内容物を全て便器に排泄し、シャワーでアナル周辺を洗い流しました。 部屋に戻ると女王様は、僕の粗相の後始末をされていました。
洗剤を付けたタオルで念入りに絨毯を拭い、匂いが残らない様に香水を吹きかけていました。
僕は恥ずかしさと面目なさで何もできずに、部屋の入口に突っ立ってボーっとその光景を眺めていました。
突然のアクシデントによって現実に引き戻された僕は、おそらくは女王様の最初のもくろみ以上に羞恥にまみれていたと思います。
しかし、これは性的快感とは無関係の羞恥心でした。 その後プレイを再開したものの、僕の股間は終始うなだれたままだったのです。
この二つのエピソードは、僕のSM歴の中でも特に鮮明に記憶に残っている羞恥体験ですが、両者は恥ずかしさの性質が全く異なります。 前者はリビドーに直結したマゾ的な羞恥感覚であり、後者は単なる失敗談に過ぎません。 前者が甘美な思い出として残したい記憶であるならば、後者はできれば忘却の彼方に葬り去りたい忌わしい記憶です。
しかし羞恥心や恥辱感が、本人にとって“不本意”であるがゆえに沸き起こる感情とするならば、後者の方が本来の言葉の意味を満たしている様な気がします。
“密室で女王様と一対一で行われるルールに則ったプレイ”で引き起こされる羞恥感覚は、性的興奮を高揚させるマゾヒスト特有の感情で、本来の羞恥心とは似て非なるものだと僕は解釈しています。
ヤプーズマーケットを初めとするM男向けのDVD作品には、半裸で首輪を着けられ、衆人環視の中を引き回される際どいシーンが結構あります。 老若男女問わぬ衆目に恥態を晒される行為は、並の神経では耐えられません。
これが、本人の意思に反して無理やり行われたのだとしたら、プレイの範疇を超えた精神的拷問になると思います。
しかし、予めM男の了解を得て撮られたものだとしたら、どんなに厳しい状況であっても擬似的なものを感じてしまいます。 それはマゾヒストにとって、あくまでも被虐的快楽に結びつく羞恥プレイです。 “思い出しても赤面する、もう懲り懲り”といつまでも心の中にトラウマとして残っているのが本来の羞恥心ではないでしょうか。
マゾヒストがそれを快と感じるか、不快と感じるか? 勃起するか?あるいは委縮するのか?
もちろん自分がこうした状況に追い込まれたら、ヘタレて速攻 逃げ出す事は間違いありません
こうしたシチュエーションを快楽に転化できるという才能には驚嘆します。
マゾヒズムは通常の社会生活を営む上で、他人には絶対知られたくない恥ずかしい性癖だという思いがあります。 密室における女王様との二人だけの秘め事にしておきたいと考えるのが、多くのM男性の本音であると思うのです。
その心理を突いた過激な羞恥プレイではありますが、僕にとってはあまりにハードルが高く無縁な代物です。
さて「家畜人ヤプー」の沼正三氏が、著書「ある夢想家の手帳から」の中で明かしたところによると、彼は“精神的に凌辱を受けることにこそマゾヒズムを刺激されていた”そうです。
“肉体的苦痛で快感を得るだけの者は真のマゾヒストにあらず!”とも言い切っています。
鞭打たれた場合でも、その先に潜む精神的凌辱感こそが被虐の深淵であって、単に肉体的苦痛に溺れている者とは区別するべきだと主張しているのです。
僕の様な肉体的苦痛系マゾは全否定ですか! ?︎( ̄O ̄;)
沼氏が若かった時代には現在のSMクラブの様な形態はありませんでした。
氏は自身のマゾヒズムを満たす為に、驚くべき行動力と知恵をもって一般女性からサディスティックな一面を引き出し、彼女達に蔑まれることに成功していました。 そんな彼だからこそ下せた定義だとも思えます。
しかし、僕には沼氏が追い求めていた“精神的陵辱”もどこか作為的な面があり、真の辱めではないような気がします。
極端なことを言えば、僕の場合、憧れている女性に頭から聖水をかけられても、それほどの恥辱は感じません。
実際にご主人様とのご調教で毎回、顔面に聖水をかけて頂いていますが、これを感謝の念をもって拝受しています。
崇拝している女性に屈辱的行為を受けても、奴隷である僕の自我が傷つく事はありません。
しかし、これが、もし嫌いなタイプの女性の場合だったら多少屈辱を感じると思います。
さらに、相手が男だとしたら、殺意を覚えるほどの屈辱感に見舞われると思うのです。 それは激しく自尊心を傷つけられるからに他なりません。
マゾヒストにとってのリビドーを刺激する羞恥心や恥辱感は、本来の意味とは次元の異なる特別の感情であるような気がしています。
もちろん、作為的であったり、擬似的であることが悪いと言っているわけではありません。
SMはそうした様々な約束事の上に成り立っている知的な大人の遊びです。
僕は、敬愛するドミナへの崇拝心や服従心が本物であればそれでいいと思います。
また、沼氏がはっきりと分けるべきであると主張する肉体的苦痛と精神的凌辱ですが、現実にはこの二つの性癖をどちらも有しているマゾヒストも多いのではないかと思います。
実際、僕自身のマゾヒズムも様々な被虐願望や複数のフェティシズムが混沌と入り混じり、どんどん肥大化しています。 そんなに単純に分類できるものでもありません。
僕も肉体的苦痛が主体とはいえ、女性に鞭打たれる事によって、恥辱感を感じることはあります。 ですから、マゾヒストの端くれくらいは名乗らせて貰う事は許されるのではないかと思うのですが…
ダメですか? ダメ!?
ダメならブログのタイトルを変えるしかありません(>_<)