のび太の女権帝国
少年漫画一筋で人気を博してきた藤子・F・不二雄氏ですが、一時期劇画の台頭によってスランプに陥り、ビッグコミック編集長の説得に応じる形で、クオリティの高い大人向け作品を次々と発表していた事がありました。
少年漫画と変わらぬ健全な画風とわずかなページ数で、現代社会や日常生活に潜む恐怖をあぶり出して見せたかと思えば、暗澹たる未来世界を予見したシリアスなSF作品で読者を戦慄に陥し入れたりもしました。 これらの異色SFや奇妙な味わいのある作品群は、F氏の新境地を開拓し新たな一面を世に知らしめたと言えるでしょう。
例えば幼 児退行願望を満たす奇妙な施設の存在を描いた「やすらぎの館」。
牛が人間を食べるという、食物連鎖が逆転した惑星に漂着した宇宙飛行士の苦悩を描いた傑作「ミノタウロスの皿」。 小説家である夫のDVに耐え続けるおとなしい妻が、家庭内のあちこちに張り巡らせた静かなる殺意に戦慄する「コロリころげた木の根っこ」。 アイドルのクローンを密造して販売する「有名人販売株式会社」等々…
この辺りの作品はエスエマーやフェティシストとしても非常に興味深い内容となっていますが、今回はわずか4ページ※で女権社会を描いた「女には売るものがある」をご紹介したいと思います。
(ネタバレ注意)
残業を終えて帰路につく冴えない中年男性に声をかける一人の若い女性。
煙草を吸いながら足を組み、街灯の明かりの下に佇む女性の姿を見れば、読者の誰もが街娼かと思うでしょう。
しかし、声をかけられた男の慌てふためく様子が尋常ではありません。
声を潜め二本指を差し出す女性の誘いに乗って、ラブホテルへと向かう二人。
女性は風呂場で男の背中を流し、甲斐甲斐しく浴衣を着せて、いよいよベッドインかと思われたその瞬間…突然、気弱に見えた男が暴君へと変貌します。
ベッドに上がろうとする女性を突き飛ばし、跪かせ、夕刊やお茶を持ってこさせ、枕をぶつけ、お茶をぶっ掛けます。 エアコンを切らせ団扇で扇がせたり、マッサージをさせ暴言を浴びせ続けるのです。
「女のくせに!」
「女は男に従属奉仕するものだぞ」
男の横暴な振る舞いにひたすら耐え従う女性。
と、その時、警察官と思しき人物がドアの前に立ちはだかります。青ざめる男…
そう、つまりこれは女性上位が定着した社会の出来事であり、男はかつて女性を蔑ろにし、アゴでこき使っていた時代を懐古し、今では決して許されない男尊女卑の快楽に浸る為にお金を支払って女性からその権利を買ったというオチなのでありました。
その後、男は警察に捕まり、女性の警察署長にこってりと絞られます。
権利を売った女性は「裏切り者」として糾弾され“売権法違反”の罪で送検されるのでした。
この作品が発表されたのは1976年。
前年には、国際連合が女性の地位向上を目標に掲げ、1975年を「国際女性年」とする事を宣言しています。
世は1960年代後半から巻き起こったウーマンリブなる女性解放運動のうねりが一段落し、フェミニズムへと移行していった時期と一致します。 F氏は、女性を巡る社会環境が変化していった時代を風刺し作品化したのでしょう。
作品には、女性上司に従属する男性警察官の描写が一コマあるだけで、女尊男卑に関する具体的な描写こそありませんが、男のオドオドした態度から女性に対する恐怖心が窺われます。
価値観や常識の逆転はSF的な発想の基本ですが、作品の初出から43年、まだまだ女性の地位は決して高くなったとは言えないのが実情です。
同じ頃、ジョージ秋山氏も「ゴミムシくん」という女尊男卑の世界を描いた名作を発表していますが、同じ様な時代背景が影響したのではないかと思われます。
女権国家は、今はまだマゾヒスト男性諸氏の妄想の中にのみ存在していますが、バイトテロや煽り運転など男達の愚行をニュースで知るたびに、いつか必ず賢く優秀な種である女性達に支配され、彼女達の足下に平伏す時代がやってくるのは間違いないと信じているのですが、何か問題ありますでしょうか?
※この作品は単行本に収録される際、6ページに描き直されていますが、本記事では簡潔でテンポの良い初出版を元に紹介しています。