少年hの恥戀 〜マゾヒストたちのヰタ・セクスアリス〜
マゾ花の最新記事(4月16日現在)でhomerさんから無茶振りされてしまいました(>_<)
顔面騎乗のオーソリティに本文中でご指名を頂き、顔騎に関するコメントを求められたのはとても光栄で嬉しかったのですが、さて何を書いたらいいものか迷ってしまいました…
そういうわけで今回のエントリーはマゾ花の「顔面騎乗の想い尻」に寄せるコメントのつもりで書き始めたのですが、書き進めるうちにいつもの悪い癖でテーマから脱線してしまいダラダラと長くなってしまった為、急遽コラボ記事に変更しました。
(まずは「マゾヒズムに花束を!」の「顔面騎乗の想い尻」をお読みになった上でこちらの記事をご覧下さい。)
マゾ花の方にもコメントしておりますので合わせてお読み頂ければ幸いです。
『顔面騎乗の想い尻』
“恥の多い生涯を送って来ました”
いいフレーズですね^ ^
この記事に書かれているのはまさしくhomerさんの尻フェティシズムの原体験であり、人生初の顔面騎乗体験です。
これぞまさに恥戀(はじこい)。 素直に羨ましいです。
確かに小学校低学年くらいまでは、まだお互いの性差を意識することなく、男女が一緒になってキャーキャーとじゃれあっていた記憶があります。 幼い女児が男児に馬乗りになったとしても、また偶然その小さくて可愛らしいお尻が男の子の顔の上に乗っかってしまったとしても…通常なら微笑ましい日常の一コマとして、やがて忘却の彼方へと消え去っていったことでしょう。
しかしhomer少年にとっては、その後半世紀を経ても色鮮やかに蘇る甘酸っぱい思い出となって、彼の心の奥にある小さな宝箱に大切にしまい込まれていたのです。
もちろん相手が誰でも良かったわけではなく、homer少年好みの松たか子似の美少女だったからこそ彼の小さな胸はときめいたのでしょう。 これがもし、ダン○松本似の女の子の“吹き出物だらけのデカ尻”に敷かれていたとしたら、一生拭えない悪夢となってその後彼が尻フェチになる事はなかったに違いありません。
眼前に迫る薄布一枚隔てた開花前の花芯。
幼い亀裂を形取った布地の表面に薄っすらと浮き上がった黄色のシミ。
微かに香るアンモニア臭。
フルフルと可愛らしく揺れる発育前の小さなお尻
上から見下ろす女のコの悪戯っぽい視線。
それを下から見上げ、胸をときめかせる少年。
想像するだけでキュン死してしまいます♡
僕には一歳年上のおしゃまな従姉妹がいました。 小2の頃、彼女と見つめあって互いの鼻先を擦り付け合い、舌先を触れ合ったり、ふざけ合ってズボンの上から皮を被ったままのつくしんぼうの先っちょを摘まれて、ドキドキしたのが僕の初めての異性体験でした。
性的欲求が目覚めるずっと以前、幼い男女はただ“好き”という感情だけに突き動かされてこうした行動をとる事があります。 大人の汚れた目から見れば、性衝動のように映るかもしれませんが、そうではありません。
この従姉妹の娘さんは僕から見てもアイドル風の結構な美人に育ちましたが、母親似の彼女の面影を追う度に、あの頃の胸が締め付けられるような甘く切ない感情が蘇ってくるのです。
しかし、これらの淡い思い出より以前に、すでに僕の中には幼いマゾヒズムが芽生えていました。
それは幼稚園の先生に植え付けられた「おチンチンにお灸」と「去勢恐怖」のトラウマです。 別に僕が女の子に悪さをしたわけではないのですが、女の子をいじめると“おちんちんにお仕置きをされる”というところになぜかビンビンと反応してしまったのです。 (「覚醒」参照)
普段はおっとりとした雰囲気の、笑顔の優しい先生でした。
でも、この時は鬼のような形相で、女の子ばかりを虐めていた乱暴な男の子を叱りつけていたのです。
「女の子をいじめるとおちんちんにお灸をすえる!」と「おちんちんを切る!」という脅し文句は効果てき面でした。
その後、この男の子はすっかりおとなしくなり、クラスの男児達も一様に女児達の顔色を伺うようになりました。 それまで萎縮していた女児達は皆のびのびと明るくなったのです。
この時、僕の中に“女の子の方が偉いんだ”という意識が芽生え、女性に対する下位願望が形成されたような気がします。 その直後から早熟過ぎる被虐妄想オナニーを覚え、精通はなくてもエクスタシィを経験していました。
この原体験は僕のマゾヒズムの覚醒に繋がっているとは思いますが、単に引き金になっただけで、この出来事がなくてもいずれ僕はマゾヒストとして目覚めたと思っています。
僕の場合と比べると、homerさんの原体験は淡くて繊細で少年らしいとても可愛いらしいものです。
確かに未就学の頃から、すでに女の子のデルタゾーンに対して未知への興味と憧れ、同時に畏怖のような感情が芽生えていたような記憶があります。
僕が幼い頃は、まだ都内にもあちこちに原っぱや草むら、舗装されていない道路が残っていました。
小さな女の子達は、尿意を催すとためらわずに僕の見ている目の前でスカートをたくし上げ、パンツを下ろして放 尿していました。
僕は、“つるんとして縦にスジが一本入っただけの股間”から、放物線を描いて放たれる少女のおシッコが、地面に模様を描きながら吸い込まれていく様子をいつも不思議な面持ちで眺めていました。
やがて母となるであろう彼女達が、まるで生命の源である大地と交信しているかのような厳かで何か神秘的なものを感じ取っていたのかもしれません。
もちろんその形状の表す意味や男性との機能の違いを知るのはもっとずっと後の事です。
僕は子供の頃から現在に至るまで、女性器を表す4文字の俗称を口にする事ができません。
その神聖な部分にはそぐわない卑猥な響きを持っている様な気がしているからです。
思えば僕が女性崇拝や女性器信仰に目覚めたのは、この頃からだったのかもしれません。
興味、憧れ、崇拝、信仰、畏怖… 僕の女性への思いが募るに従って、女性支配や隷従の願望も膨らんでいったのだと思います。
小学校高学年の時分、homerさんのように、少女が少年の上に馬乗りになっている光景を見かけた事がありました。 しかし、それは淡い思い出でなどではなく、まさに“男を捕まえて煮て食おう”とする寸前の恐ろしいシーンを目撃したのです。
その頃、漫画「ハレンチ学園」の影響で全国的に“モーレツごっこ”というスカートめくりが流行っていました。 休み時間になると漫画の影響を受けたおバカな少年達が次々と少女達のスカートをめくり上げ、「オー!モーレツゥ」などと奇声をあげては彼女達に追いかけ回され、校庭や廊下を全速力で逃げ回っていました。
僕は母親から“女の子には常に紳士的に振る舞い優しくありなさい”というフェミニスト教育を受けて育ったので、この遊びに参加した事はありませんでしたが、女の子の下半身には並々ならぬ興味があったので、彼らの気持ちも理解できました。
ところがある日の放課後、木造校舎の裏庭にあった焼却炉にゴミを捨てに行く途中、3人の少女たちに捕らえられ、地べたに押さえつけられている哀れな少年の姿を見かけたのです。 僕は何かただならぬ空気を感じました。
「ほんっとゴメン!もう絶対しないから勘弁して…」
まだ息が荒いままの少年は薄笑いを浮かべてなんとか冗談で済ませようとしていたようですが、悪ふざけが過ぎたのでしょう、少女達の逆鱗に触れまさにこれから処罰されるところのようでした。
涙目の少年の髪を鷲掴みにして馬乗りになっている少女のお尻は、彼の顔を覆ってこそいませんでしたがほぼエリックスタイルで、他の少女2人にも土足で踏みつけられて身動きできない状態でした。
「てめえ、あんまり調子こいてるとホント半殺しの目にあわすよ!」
顔を真っ赤にして拳を振り上げ、今にも振り下ろしそうに威嚇する少女。 それを受けて彼を踏みつけている別の少女が「こんなやつ、全部ゴロシだよ‼︎」と、彼の太もも辺りにかかとを叩きつけてめり込ませています。 もう1人の少女は顔の横にしゃがみ込んで彼の頬っぺたを思い切り捻り上げていました。 3人とも普通の女の子達でしたが、スカートめくりなどの遊びでは可愛い子はかえって敬遠されるため、何度も同じ被害にあっていたのかも知れません。
そんな恐ろしい集団リンチシーンに遭遇しながらも、僕は少女の1人が口にした“全部ゴロシ”というフレーズの持つ言い知れない可笑しさを噛み殺し、彼女達と目を合わさないようにそそくさとその場を立ち去りました。
“全部ゴロシ‼︎ ” それって死刑宣告じゃぁあ〜りませんか?Σ(゚д゚lll)
あのあと、彼がどんな恐ろしい目にあわされたのか、あるいは煮て食われてしまったのか、彼らとはクラスも違っていたのでわかりませんが「女の子はか弱いのだから優しくしてあげなさい。」なんて母親の言葉は嘘っぱちだな…と確信したのでした。
その後、モーレツごっこは女の子達全員の反感を買って学級会の議題に上り、「ハレンチ学園」を読む事と合わせて全面禁止になってしまいました。 しかし、僕はこのマゾヒズム妄想にうってつけのリンチシーンや、女の子が発した“全部ゴロシ”というフレーズがやけに気にいって、その後何度もオナニーのネタに使わせて頂きました。
このくらいの年頃の女の子たちは男子よりも先に成長期に入り、体格的にも体力的にも男の子より優位にありました。 成長期の遅かった僕にとって、彼女達はアマゾネス軍団のような迫力があったのです。
そんな彼女達にモーレツごっこを仕掛けて捕らえられ、放課後、両脇を抱えられてアルコールランプやお線香や解剖道具の用意された理科室へと連行されていくのが僕のお気に入りのM妄想でした。
こんなにも暴力的で恐ろしい拷問シーンですらも、僕にとっては性的興奮を呼び起こす甘美で刺激的なシチュエーションだったのです。
犯すべからざる神聖な領域に踏み込んだが為に、女神達の逆鱗に触れて罰せられる。
これが幼少時に形成され、ずっと固辞してきた僕のマゾヒズムの基本概念でした。
ところがご主人様と出会ってからは徐々に、精神的支配を軸に肉体的苦痛を受け入れたいと望むように変貌してきました。 気の遠くなるような時間がかかりましたが、マゾヒストとして新たなステージへとステップアップしたのだと思っています。
さて僕の顔騎初体験ですが意外に遅く、しかも当時付き合っていた女性とのオーラルセックスの最中に、自ら彼女のお尻を引き寄せて顔を押し付けたのが最初なので、正式には顔面騎乗とは呼べない代物でした。
しかし、その脂肪の乗ったお尻の圧倒的な柔らかさ、ひんやりとしてスベスベの肌触り、吸いつくようなモチ肌感、愛液と唾液の入り混じった淫靡な香りに僕の頭はクラクラし、世の中にこんないいものは他にないと歓喜しました。
もう、無我夢中で顔を擦りつけ、彼女のアナルに舌先をこじ入れようとした瞬間「ちょっとぉ、気持ち悪いんだけど〜」とドン引きされてしまった恥ずかしくも悲しいおもひでです(T ^ T)
マゾヒズムとしての本格的な顔面騎乗は、特殊性風俗サークル・松田企画への入会まで待たねばなりませんでした。 そりゃ、一般の女性がそんなに簡単に顔面騎乗なんかしてくれるはずもありません。
一般の女性の大半は、もったいなくも顔面騎乗などとは無縁のまま、その生涯を終えるのだと思います。
僕のSMプレイにおける顔騎初体験に関しては、またいずれ拙ブログにて披露したいと思います。
顔面騎乗のオーソリティに本文中でご指名を頂き、顔騎に関するコメントを求められたのはとても光栄で嬉しかったのですが、さて何を書いたらいいものか迷ってしまいました…
そういうわけで今回のエントリーはマゾ花の「顔面騎乗の想い尻」に寄せるコメントのつもりで書き始めたのですが、書き進めるうちにいつもの悪い癖でテーマから脱線してしまいダラダラと長くなってしまった為、急遽コラボ記事に変更しました。
(まずは「マゾヒズムに花束を!」の「顔面騎乗の想い尻」をお読みになった上でこちらの記事をご覧下さい。)
マゾ花の方にもコメントしておりますので合わせてお読み頂ければ幸いです。
『顔面騎乗の想い尻』
“恥の多い生涯を送って来ました”
いいフレーズですね^ ^
この記事に書かれているのはまさしくhomerさんの尻フェティシズムの原体験であり、人生初の顔面騎乗体験です。
これぞまさに恥戀(はじこい)。 素直に羨ましいです。
確かに小学校低学年くらいまでは、まだお互いの性差を意識することなく、男女が一緒になってキャーキャーとじゃれあっていた記憶があります。 幼い女児が男児に馬乗りになったとしても、また偶然その小さくて可愛らしいお尻が男の子の顔の上に乗っかってしまったとしても…通常なら微笑ましい日常の一コマとして、やがて忘却の彼方へと消え去っていったことでしょう。
しかしhomer少年にとっては、その後半世紀を経ても色鮮やかに蘇る甘酸っぱい思い出となって、彼の心の奥にある小さな宝箱に大切にしまい込まれていたのです。
もちろん相手が誰でも良かったわけではなく、homer少年好みの松たか子似の美少女だったからこそ彼の小さな胸はときめいたのでしょう。 これがもし、ダン○松本似の女の子の“吹き出物だらけのデカ尻”に敷かれていたとしたら、一生拭えない悪夢となってその後彼が尻フェチになる事はなかったに違いありません。
眼前に迫る薄布一枚隔てた開花前の花芯。
幼い亀裂を形取った布地の表面に薄っすらと浮き上がった黄色のシミ。
微かに香るアンモニア臭。
フルフルと可愛らしく揺れる発育前の小さなお尻
上から見下ろす女のコの悪戯っぽい視線。
それを下から見上げ、胸をときめかせる少年。
想像するだけでキュン死してしまいます♡
僕には一歳年上のおしゃまな従姉妹がいました。 小2の頃、彼女と見つめあって互いの鼻先を擦り付け合い、舌先を触れ合ったり、ふざけ合ってズボンの上から皮を被ったままのつくしんぼうの先っちょを摘まれて、ドキドキしたのが僕の初めての異性体験でした。
性的欲求が目覚めるずっと以前、幼い男女はただ“好き”という感情だけに突き動かされてこうした行動をとる事があります。 大人の汚れた目から見れば、性衝動のように映るかもしれませんが、そうではありません。
この従姉妹の娘さんは僕から見てもアイドル風の結構な美人に育ちましたが、母親似の彼女の面影を追う度に、あの頃の胸が締め付けられるような甘く切ない感情が蘇ってくるのです。
しかし、これらの淡い思い出より以前に、すでに僕の中には幼いマゾヒズムが芽生えていました。
それは幼稚園の先生に植え付けられた「おチンチンにお灸」と「去勢恐怖」のトラウマです。 別に僕が女の子に悪さをしたわけではないのですが、女の子をいじめると“おちんちんにお仕置きをされる”というところになぜかビンビンと反応してしまったのです。 (「覚醒」参照)
普段はおっとりとした雰囲気の、笑顔の優しい先生でした。
でも、この時は鬼のような形相で、女の子ばかりを虐めていた乱暴な男の子を叱りつけていたのです。
「女の子をいじめるとおちんちんにお灸をすえる!」と「おちんちんを切る!」という脅し文句は効果てき面でした。
その後、この男の子はすっかりおとなしくなり、クラスの男児達も一様に女児達の顔色を伺うようになりました。 それまで萎縮していた女児達は皆のびのびと明るくなったのです。
この時、僕の中に“女の子の方が偉いんだ”という意識が芽生え、女性に対する下位願望が形成されたような気がします。 その直後から早熟過ぎる被虐妄想オナニーを覚え、精通はなくてもエクスタシィを経験していました。
この原体験は僕のマゾヒズムの覚醒に繋がっているとは思いますが、単に引き金になっただけで、この出来事がなくてもいずれ僕はマゾヒストとして目覚めたと思っています。
僕の場合と比べると、homerさんの原体験は淡くて繊細で少年らしいとても可愛いらしいものです。
確かに未就学の頃から、すでに女の子のデルタゾーンに対して未知への興味と憧れ、同時に畏怖のような感情が芽生えていたような記憶があります。
僕が幼い頃は、まだ都内にもあちこちに原っぱや草むら、舗装されていない道路が残っていました。
小さな女の子達は、尿意を催すとためらわずに僕の見ている目の前でスカートをたくし上げ、パンツを下ろして放 尿していました。
僕は、“つるんとして縦にスジが一本入っただけの股間”から、放物線を描いて放たれる少女のおシッコが、地面に模様を描きながら吸い込まれていく様子をいつも不思議な面持ちで眺めていました。
やがて母となるであろう彼女達が、まるで生命の源である大地と交信しているかのような厳かで何か神秘的なものを感じ取っていたのかもしれません。
もちろんその形状の表す意味や男性との機能の違いを知るのはもっとずっと後の事です。
僕は子供の頃から現在に至るまで、女性器を表す4文字の俗称を口にする事ができません。
その神聖な部分にはそぐわない卑猥な響きを持っている様な気がしているからです。
思えば僕が女性崇拝や女性器信仰に目覚めたのは、この頃からだったのかもしれません。
興味、憧れ、崇拝、信仰、畏怖… 僕の女性への思いが募るに従って、女性支配や隷従の願望も膨らんでいったのだと思います。
小学校高学年の時分、homerさんのように、少女が少年の上に馬乗りになっている光景を見かけた事がありました。 しかし、それは淡い思い出でなどではなく、まさに“男を捕まえて煮て食おう”とする寸前の恐ろしいシーンを目撃したのです。
その頃、漫画「ハレンチ学園」の影響で全国的に“モーレツごっこ”というスカートめくりが流行っていました。 休み時間になると漫画の影響を受けたおバカな少年達が次々と少女達のスカートをめくり上げ、「オー!モーレツゥ」などと奇声をあげては彼女達に追いかけ回され、校庭や廊下を全速力で逃げ回っていました。
僕は母親から“女の子には常に紳士的に振る舞い優しくありなさい”というフェミニスト教育を受けて育ったので、この遊びに参加した事はありませんでしたが、女の子の下半身には並々ならぬ興味があったので、彼らの気持ちも理解できました。
ところがある日の放課後、木造校舎の裏庭にあった焼却炉にゴミを捨てに行く途中、3人の少女たちに捕らえられ、地べたに押さえつけられている哀れな少年の姿を見かけたのです。 僕は何かただならぬ空気を感じました。
「ほんっとゴメン!もう絶対しないから勘弁して…」
まだ息が荒いままの少年は薄笑いを浮かべてなんとか冗談で済ませようとしていたようですが、悪ふざけが過ぎたのでしょう、少女達の逆鱗に触れまさにこれから処罰されるところのようでした。
涙目の少年の髪を鷲掴みにして馬乗りになっている少女のお尻は、彼の顔を覆ってこそいませんでしたがほぼエリックスタイルで、他の少女2人にも土足で踏みつけられて身動きできない状態でした。
「てめえ、あんまり調子こいてるとホント半殺しの目にあわすよ!」
顔を真っ赤にして拳を振り上げ、今にも振り下ろしそうに威嚇する少女。 それを受けて彼を踏みつけている別の少女が「こんなやつ、全部ゴロシだよ‼︎」と、彼の太もも辺りにかかとを叩きつけてめり込ませています。 もう1人の少女は顔の横にしゃがみ込んで彼の頬っぺたを思い切り捻り上げていました。 3人とも普通の女の子達でしたが、スカートめくりなどの遊びでは可愛い子はかえって敬遠されるため、何度も同じ被害にあっていたのかも知れません。
そんな恐ろしい集団リンチシーンに遭遇しながらも、僕は少女の1人が口にした“全部ゴロシ”というフレーズの持つ言い知れない可笑しさを噛み殺し、彼女達と目を合わさないようにそそくさとその場を立ち去りました。
“全部ゴロシ‼︎ ” それって死刑宣告じゃぁあ〜りませんか?Σ(゚д゚lll)
あのあと、彼がどんな恐ろしい目にあわされたのか、あるいは煮て食われてしまったのか、彼らとはクラスも違っていたのでわかりませんが「女の子はか弱いのだから優しくしてあげなさい。」なんて母親の言葉は嘘っぱちだな…と確信したのでした。
その後、モーレツごっこは女の子達全員の反感を買って学級会の議題に上り、「ハレンチ学園」を読む事と合わせて全面禁止になってしまいました。 しかし、僕はこのマゾヒズム妄想にうってつけのリンチシーンや、女の子が発した“全部ゴロシ”というフレーズがやけに気にいって、その後何度もオナニーのネタに使わせて頂きました。
このくらいの年頃の女の子たちは男子よりも先に成長期に入り、体格的にも体力的にも男の子より優位にありました。 成長期の遅かった僕にとって、彼女達はアマゾネス軍団のような迫力があったのです。
そんな彼女達にモーレツごっこを仕掛けて捕らえられ、放課後、両脇を抱えられてアルコールランプやお線香や解剖道具の用意された理科室へと連行されていくのが僕のお気に入りのM妄想でした。
こんなにも暴力的で恐ろしい拷問シーンですらも、僕にとっては性的興奮を呼び起こす甘美で刺激的なシチュエーションだったのです。
犯すべからざる神聖な領域に踏み込んだが為に、女神達の逆鱗に触れて罰せられる。
これが幼少時に形成され、ずっと固辞してきた僕のマゾヒズムの基本概念でした。
ところがご主人様と出会ってからは徐々に、精神的支配を軸に肉体的苦痛を受け入れたいと望むように変貌してきました。 気の遠くなるような時間がかかりましたが、マゾヒストとして新たなステージへとステップアップしたのだと思っています。
さて僕の顔騎初体験ですが意外に遅く、しかも当時付き合っていた女性とのオーラルセックスの最中に、自ら彼女のお尻を引き寄せて顔を押し付けたのが最初なので、正式には顔面騎乗とは呼べない代物でした。
しかし、その脂肪の乗ったお尻の圧倒的な柔らかさ、ひんやりとしてスベスベの肌触り、吸いつくようなモチ肌感、愛液と唾液の入り混じった淫靡な香りに僕の頭はクラクラし、世の中にこんないいものは他にないと歓喜しました。
もう、無我夢中で顔を擦りつけ、彼女のアナルに舌先をこじ入れようとした瞬間「ちょっとぉ、気持ち悪いんだけど〜」とドン引きされてしまった恥ずかしくも悲しいおもひでです(T ^ T)
マゾヒズムとしての本格的な顔面騎乗は、特殊性風俗サークル・松田企画への入会まで待たねばなりませんでした。 そりゃ、一般の女性がそんなに簡単に顔面騎乗なんかしてくれるはずもありません。
一般の女性の大半は、もったいなくも顔面騎乗などとは無縁のまま、その生涯を終えるのだと思います。
僕のSMプレイにおける顔騎初体験に関しては、またいずれ拙ブログにて披露したいと思います。