おみ足奴隷
ご主人様のご命令で、初めておみ足の爪にペディキュアを塗らせて頂きました。
ささやかながらもご主人様のご美貌に貢献できる事に、奴隷の歓びを感じます。
ベッドに腰掛けて寛がれているご主人様の前に跪いてお履物をお脱がせし、まずは両手でおみ足を恭しくお抱えします。
美しく並んだ指先に映えるピンク色の爪の眩しいこと!
神の作りたもうた珠玉の造形物にあえて人工的な美しさを施す必要はないとは思うのですが、これも美に対して貪欲な若い女性のおしゃれの一環なのでしょう。
左手でご主人様のおみ足を支え、右手に刷毛を持ってはみ出さないよう、ムラにならないようにと気遣いながら一本ずつ丁寧にペディキュアを施していきました。
細かい作業は割と得意な方ですが、刷毛をつまむ指先が緊張で微かに震えます。
なにぶんにも女性のおみ足の爪にペディキュアを塗るなどという甘美な行為は、生まれて初めての経験ですから中々上手く塗れません。
「大丈夫。 乾けばムラは目立たなくなるから…」とご主人様が優しいお言葉をかけて下さいます。
“ああ、これってなんだか谷崎潤一郎の描く世界観みたいだな…”
そんな事を考えながら、かつて肉体的受苦しか受け付けなかった己の偏狭なマゾヒズムに思いを巡らせます。
ハードマゾを気取り、毎回自分が望むプレイばかりを女王様に事細かく指示し、肉体的苦痛を与えられる事のみがマゾヒズムの醍醐味だと思い込んでいたあの頃。
ご主人様と巡り会わなかったら、こんな甘美な味わいは露ほども知らず、偏ったマゾヒズム観を持ったままで生涯を終えていた事でしょう。
最近の僕はご主人様のおみ足を洗浄させて頂いたり、マッサージを施させて頂いたり、種々の貢物や贈答品を献上させて頂いたり、お食事やショッピングのお供をさせて頂いたり、ささやかながらもご主人様に尽くす事に無上の幸福感を感じているのです。
ああ!この美しいお方の為に、微力ながらもお役に立てる奴隷になりたい!
大切な方に尽くす歓びを知ると、自己のちっぽけな欲望なんて消し飛んでしまう。
心から崇拝できる女王様が目の前に現れて下されば、マゾヒストは“変わる”事ができるのです。
いや、実はこれこそが女性支配の真髄であり、僕が無意識のうちに探し求めていた理想の主従関係なのかもしれません。
「おみ足って可愛い言い方だよね」とご主人様。
確かに情緒ある日本語独特の敬語表現ですが、ご主人様のような可憐な女性の足にこそふさわしい呼び方だと思います。
僕はご主人様のおみ足が大好きです。
清潔感があって無味無臭に近いので、フェティシズム的には物足りない感もありますが、その上品な形状や触れさせて頂いた時の温かく柔らかな感触は絶品です。
目の前にあるとそっと口づけたい誘惑に駆られますが、奴隷の唾液で穢すのは畏れ多い高貴な存在です。
ましてそのおみ足先で顔面やペニスを弄って欲しいだなんて口が裂けても言えません。
ただただひれ伏して、芸術品のように鑑賞させて頂くだけで幸せなのです。
女性の足を愛でるという行為には、なぜだか変態っぽい響きがあるようです。
人体の中でも不浄とされている部位に愛情を感じる事は、禁忌で堕落した行為なのでしょうか?
ならば僕にとって最もふさわしいのは、ご主人様のおみ足の奴隷としてお仕えする事でしょう。
以前、おみ足裏のケアをさせて頂いた際にヤスリで角質を削り過ぎてしまい、お怪我を負わせてしまった事がありました。 罰としてジャリジャリとしたお靴の裏を舐めさせられて、それはそれでやたらと興奮してしまいましたが、おみ足には二度と触れさせて頂けないかもしれないと絶望的な気分に陥った事を思い出します。
幸いその後はお許しを頂き、今では再びおみ足のケアを仰せつかっております。
ご主人様のおみ足を隅々まで洗浄し、タップリとクリームを擦り込ませて頂き、ペディキュアまで塗らせて頂けるという栄誉を授かっているのです。
こんな幸せな事があるでしょうか⁉︎
一本鞭で打ちのめされる歓び、男性機能を管理される歓び、全てを捧げ奴隷契約を締結する歓び、お名前を刻まれて所有物となる歓び、これらは全てご主人様が僕に教えて下さった事です。
そして今また、主の為に尽くす歓び。
僕は半年ほど前に、ご調教時における男性としての性的快楽は一切放棄しました。
奴隷が主人に性的なサービスを求める事は、リアルな主従関係にはそぐわないと判断したからです。
「SMが好きであればあるほど接客業としてのSMに悩む…」と、ご主人様は仰いました。
悩みに悩んだ末、SMクラブをお辞めになられたのだと思います。
その事が何を意味するのか、僕なりの答えを出した時、僕とご主人様の関係は劇的に変わりました。
僕は自らの下半身の奴隷ではなく、これからもご主人様の奴隷であり続けたいと切に願っています。
神のように崇める女性をお支えし、尽くす事は奴隷として最大の歓びです。
しかし僕の奴隷修行はまだ始まったばかり。
これからもご主人様を仰ぎ見ながら、長い道のりを歩んでいきたいと思います。
ささやかながらもご主人様のご美貌に貢献できる事に、奴隷の歓びを感じます。
ベッドに腰掛けて寛がれているご主人様の前に跪いてお履物をお脱がせし、まずは両手でおみ足を恭しくお抱えします。
美しく並んだ指先に映えるピンク色の爪の眩しいこと!
神の作りたもうた珠玉の造形物にあえて人工的な美しさを施す必要はないとは思うのですが、これも美に対して貪欲な若い女性のおしゃれの一環なのでしょう。
左手でご主人様のおみ足を支え、右手に刷毛を持ってはみ出さないよう、ムラにならないようにと気遣いながら一本ずつ丁寧にペディキュアを施していきました。
細かい作業は割と得意な方ですが、刷毛をつまむ指先が緊張で微かに震えます。
なにぶんにも女性のおみ足の爪にペディキュアを塗るなどという甘美な行為は、生まれて初めての経験ですから中々上手く塗れません。
「大丈夫。 乾けばムラは目立たなくなるから…」とご主人様が優しいお言葉をかけて下さいます。
“ああ、これってなんだか谷崎潤一郎の描く世界観みたいだな…”
そんな事を考えながら、かつて肉体的受苦しか受け付けなかった己の偏狭なマゾヒズムに思いを巡らせます。
ハードマゾを気取り、毎回自分が望むプレイばかりを女王様に事細かく指示し、肉体的苦痛を与えられる事のみがマゾヒズムの醍醐味だと思い込んでいたあの頃。
ご主人様と巡り会わなかったら、こんな甘美な味わいは露ほども知らず、偏ったマゾヒズム観を持ったままで生涯を終えていた事でしょう。
最近の僕はご主人様のおみ足を洗浄させて頂いたり、マッサージを施させて頂いたり、種々の貢物や贈答品を献上させて頂いたり、お食事やショッピングのお供をさせて頂いたり、ささやかながらもご主人様に尽くす事に無上の幸福感を感じているのです。
ああ!この美しいお方の為に、微力ながらもお役に立てる奴隷になりたい!
大切な方に尽くす歓びを知ると、自己のちっぽけな欲望なんて消し飛んでしまう。
心から崇拝できる女王様が目の前に現れて下されば、マゾヒストは“変わる”事ができるのです。
いや、実はこれこそが女性支配の真髄であり、僕が無意識のうちに探し求めていた理想の主従関係なのかもしれません。
「おみ足って可愛い言い方だよね」とご主人様。
確かに情緒ある日本語独特の敬語表現ですが、ご主人様のような可憐な女性の足にこそふさわしい呼び方だと思います。
僕はご主人様のおみ足が大好きです。
清潔感があって無味無臭に近いので、フェティシズム的には物足りない感もありますが、その上品な形状や触れさせて頂いた時の温かく柔らかな感触は絶品です。
目の前にあるとそっと口づけたい誘惑に駆られますが、奴隷の唾液で穢すのは畏れ多い高貴な存在です。
ましてそのおみ足先で顔面やペニスを弄って欲しいだなんて口が裂けても言えません。
ただただひれ伏して、芸術品のように鑑賞させて頂くだけで幸せなのです。
女性の足を愛でるという行為には、なぜだか変態っぽい響きがあるようです。
人体の中でも不浄とされている部位に愛情を感じる事は、禁忌で堕落した行為なのでしょうか?
ならば僕にとって最もふさわしいのは、ご主人様のおみ足の奴隷としてお仕えする事でしょう。
以前、おみ足裏のケアをさせて頂いた際にヤスリで角質を削り過ぎてしまい、お怪我を負わせてしまった事がありました。 罰としてジャリジャリとしたお靴の裏を舐めさせられて、それはそれでやたらと興奮してしまいましたが、おみ足には二度と触れさせて頂けないかもしれないと絶望的な気分に陥った事を思い出します。
幸いその後はお許しを頂き、今では再びおみ足のケアを仰せつかっております。
ご主人様のおみ足を隅々まで洗浄し、タップリとクリームを擦り込ませて頂き、ペディキュアまで塗らせて頂けるという栄誉を授かっているのです。
こんな幸せな事があるでしょうか⁉︎
一本鞭で打ちのめされる歓び、男性機能を管理される歓び、全てを捧げ奴隷契約を締結する歓び、お名前を刻まれて所有物となる歓び、これらは全てご主人様が僕に教えて下さった事です。
そして今また、主の為に尽くす歓び。
僕は半年ほど前に、ご調教時における男性としての性的快楽は一切放棄しました。
奴隷が主人に性的なサービスを求める事は、リアルな主従関係にはそぐわないと判断したからです。
「SMが好きであればあるほど接客業としてのSMに悩む…」と、ご主人様は仰いました。
悩みに悩んだ末、SMクラブをお辞めになられたのだと思います。
その事が何を意味するのか、僕なりの答えを出した時、僕とご主人様の関係は劇的に変わりました。
僕は自らの下半身の奴隷ではなく、これからもご主人様の奴隷であり続けたいと切に願っています。
神のように崇める女性をお支えし、尽くす事は奴隷として最大の歓びです。
しかし僕の奴隷修行はまだ始まったばかり。
これからもご主人様を仰ぎ見ながら、長い道のりを歩んでいきたいと思います。