愛と幻想のマゾヒズム
文豪・谷崎潤一郎の「日本に於けるクリップン事件」という短編の中に、彼が自己のマゾヒズム観を赤裸々に綴った一節があります。
少し長くなりますが、以下に引用します。
「マゾヒストは女性に虐待されることを喜ぶけれども、その喜びはどこまでも肉体的、官能的のものであって、毫末も精神的の要素を含まない。 人或はいわん、ではマゾヒストは単に心で軽蔑され、翻弄されただけでは快感を覚えないのか。 手を以て打たれ、足を以て蹴られなければ嬉しくないのかと。 それは勿論そうとは限らない。 しかしながら、心で軽蔑されるといっても、実のところはそういう関係を仮に拵え、あたかもそれを事実である如く空想して喜ぶのであって、言い換えれば一種の芝居、狂言に過ぎない。 何人といえども、真に尊敬に値いする女、心から彼を軽蔑する程の高貴な女なら、全然彼を相手にするはずがないことを知っているだろう。
つまりマゾヒストは、実際に女の奴隷になるのではなく、そう見えるのを喜ぶのである。 見える以上にほんとうに奴隷にされたならば、彼らは迷惑するのである。 故に彼らは利己主義者であって、たまたま狂言に深入りをし過ぎ、誤って死ぬことはあろうけれども、自ら進んで、殉教者の如く女の前に身命を投げ出すことは絶対にない。 彼らの享楽する快感は、間接または直接に官能を刺戟する結果で、精神的の何物でもない。 彼等は彼等の妻や情婦を、女神の如く崇拝し、暴君の如く仰ぎ見ているようであって、その真相は彼等の特殊なる性慾に愉悦を与うる一つの人形、一つの器具としているのである。」
“ほんとうに奴隷にされたならば、彼らは迷惑するのである”というくだりは、何度読んでもおかしくて笑ってしまいます。 なんとも身も蓋もない内容ですが、ほとんどのM男性の心理を言い当てているような気がします。
文中では彼等と呼んでいますが、もちろんこれは谷崎本人の女性に対する心情を吐露したものだと思います。
彼は、さらにこう続けます。
「人形であり器具であるからして、飽きの来ることも当然であり、より良き人形、より良き器具に出遭った場合には、その方を使いたくなるでもあろう。 芝居や狂言はいつも同じ所作を演じたのでは面白くない。 絶えず新奇な筋を仕組み、俳優を変え、目先を変えて、やってみたい気にもなるであろう。」
これはまさにご主人様と出会う前の僕の姿そのものです。 理想の女王様を求めてさまよっていた頃は、 女性を取っ替え引っ替えしていました。 理想の女王様に巡り合えたと思ってしばし立ち止まったとしても、女性側の事情で続かない、あるいは理想とは違っていた事がわかり、再び次を求めてさまよう…そんな事を繰り返してきました。
当時の僕は女性崇拝の精神のかけらも持ち合わせていなかったように思います。
女王様はM男の傀儡、 マゾヒズムは壮大なる茶番劇。
何を今さらわかりきった事をと思われるでしょうが、僕はご主人様の奴隷にして頂いてから、少しだけこの考えに異論を唱え反発してきました。
だから最近、友人である一般S女性に 改めて女性の目線からこの事を指摘されて、ちょっと傷ついてしまったりしたのでした。
彼女曰く
「M男性は偶像を見せている女王様の言葉を信じ過ぎる。 彼女たちは清濁併せ呑んで、苦しさを隠して女優をやっているのだ…」と。 そして「彼女達はM男とホテルで2人きりでいる事をきついと思っている」と、女王様の本音まで明かしてくれました。
もちろん僕だって30年以上もM男をやっていますから、女王様に夢を見させて頂いている事ぐらい百も承知しています。
僕のような変態の妄想に付き合って下さっている女王様の存在には、ただただ感謝の念しかありません。
5年前、僕はご主人様と、とあるSMクラブで出会いました。 ネットで見つけたご主人様のプロフ写真に魅せられて、5年のブランクを経て復帰したのです。
このブログにも何度も書いていますが、ご主人様とお店でプレイをしていた頃、僕はこれまでお会いしてきた女王様と同様にストーリープレイをお願いしていました。
物語の設定からプレイ内容、プレイの順番、鞭打ちやビンタ、足蹴りの回数まで毎回詳細なシナリオを用意し、ご主人様には僕の考えた妄想劇場の主演女優をお願いしてきたわけです。
初めて、残りのマゾヒスト人生を捧げてもいいと思える理想の女王様と巡り会いながらも、相変わらずそんな状況が続いていました。
出会いから1年半が過ぎた頃、ご主人様から誘われる形で、僕とご主人様はお店を離れて会うようになりました。
その頃から僕の気持ちに少しずつ変化が生じてきたのです。
それまで女性に跪きたい、奴隷になりたいなどとは露ほども考えた事がなかった自分が、ご主人様を崇め、主従関係を結びたいと強く願うようになりました。
女王様に似つかわしくない優しい面立ち、女性らしい言葉使いや立ち居振る舞い、柔和ながらもしっかりとしたご性格、頭の回転の速さ、加虐を心から楽しまれているご様子。 どれもが僕を魅了しました。
崇拝するに相応しい女性が、初めて僕の目の前に立ちはだかったのです。
この先、自分にとって彼女以上の最良のドミナと出会う事は、二度とないだろう。
僕はご主人様をM人生最後のドミナとする事を、勝手に決めさせて頂きました。
それはエゴマゾが、初めて女性の前に跪いた瞬間でした。
そして「妄想劇場はもう終わりにしたい。 ご主人様に全権を委ね、真の奴隷の姿に少しでも近づきたい。」と思うようになりました。
もちろん僕だってご主人様に軽蔑されたいとは思っていませんし、谷崎の言うように厳密には本物の奴隷とは言えないかも知れません。 でも、ご主人様の事を、“特殊なる性慾に愉悦を与うる一つの人形、一つの器具”として扱うのだけはやめて、絶対服従の精神で尽くしたいと思いました。
これまでのようなわがままな振る舞いは排除して、今後はご主人様の色に染めて頂きたい。 そう本気で考え、奴隷契約書を交わしたのです。
僕は元々キングオブ エゴマゾですから、ああして欲しいこうして欲しいと思う気持ちは沢山あります。
なので、それ以来ずっと自己の欲望との葛藤が続いていました。
そんな中で、友人のS女性に改めて言われた“女王様=女優”発言に僕は大きな虚無感を感じてしまったのです。
茶番劇はどこまで行っても茶番劇でしかありえないのだろうか?
結局のところ、やせ我慢をしながら女優不在の一人芝居を続けていたのではなかったかと。
実は体裁が悪いのでブログに書くことを控えていましたが、昨年末から、ご主人様との主従関係に微妙なすれ違いが生じ、様々な事情も重なって4ヶ月半の間、ご調教の休養を頂いていました。
そして、なんとなくモヤモヤした心が晴れないままに、この4月、奴隷として復帰させて頂いたばかりだったのです。
そのあまりにも しょーもない理由に“エゴマゾはいくらあがいても所詮エゴマゾでしかない”と自己嫌悪に陥っていた最中でもありました。
恥ずかしいので詳細は書きたくはありませんが、簡単に言ってしまえば、自ら最下層の奴隷の地位を望みながら、ご主人様が他のM男と仲良くしているのを羨んで嫉妬に狂ってしまったというようなことです。
ご主人様に「見返りを求めない愛を捧げたい」などと、散々もっともらしい事を口にしてきながらこのざまです。
休養中、ご主人様からは沢山の温かいお言葉をかけて頂きました。
「ムギがどう思おうと仕方ないけど、私の愛情だけは疑わないでね。それだけは約束だよ。」
もったいないお言葉、とても嬉しかったです。
僕は、ご主人様の奴隷にして頂いてから、毎日、飽きずにご主人様の事ばかりを考えていました。
寂しくなると、剃毛の跡や焼印やペニスを覆う貞操帯を眺め、常にご主人様と共にあると思う事で孤独を紛らわせてきました。
しかし、お会いできるのはせいぜいが月に一回。 時間にしてわずか5〜6時間足らず、密室でのご調教の時だけです。
ご主人様のお足元に平伏してご調教を受けている間は幸福感に包まれているのですが、帰宅すると途端に言い知れぬ孤独感に苛まれ、そのうち涙が溢れ出て止まらなくなりました。
「ご主人様は今ごろ何をされているのだろう? 誰と会ってどんなプレイを楽しまれているのだろうか?」
そんな事ばかりが頭を掠めます。
これまで僕は、奴隷として、崇拝するご主人様との“距離感”を大切に考えてきました。
そんな中で、他のM男たちと友人のように親しげにされているご主人様のご様子を知って、心を掻き乱され、軽い失望感を味わっていたのでした。
聖域を踏み荒らされているようなやりきれない思い。 僕は自己のマゾヒズムに対する情熱をも失いかけていました。
そんな苦悩の日々を過ごす中、友人のS女性は精神的な面でずっと僕を支えてくれていました。
彼女は「もう5年にもなるのだから、ここらでご主人様と奴隷ではなく、対等の関係で人と人の繋がりを深めていってほしい。 ご主人様とこの先、10年20年と関係を続けていきたいなら良い機会なのではないか…」と、ご主人様とのお話し合いを提案してくれました。
僕が非日常的な部分でご主人様に傾倒し過ぎているのを側から見ていて、違和感を感じていたそうです。
そういえば、以前ご主人様にも「ムギは“自分の中の私”を見過ぎ!」とご注意を受けた事がありました。
僕ははたと思いました。
もしかしたら… ご主人様は、僕が作り上げた偶像を壊さないように、今でもずっと女優を続けて下さっているのではないのか!?と。
僕が知らず知らずのうちにそう仕向けていたのではなかったのか!? と。
もし、そうだとしたら、なんと滑稽な事だろうか…
振り返ってみると、これまでご主人様とは、あまり本音で語り合った事はありませんでした。
お店のお客さんだった頃に比べれば、お互いの事をお話しする機会は増えたけれど、当たり障りのない話ばかりに終始していました。
考えてみたら、僕はご主人様の事を何一つ知らなかったのです。
ここのところ、僕はあまりご調教を受ける気分ではなかったので、ご主人様に、ご調教の時間を少し削ってお話ししたい旨を伝え、快諾して頂きました。
そして、ホテルの部屋でご主人様と初めて膝を突き合わせ、お酒を頂きながら2時間ほどお話をさせて頂いたのです。
ご主人様は僕の目を見つめ、何度も頷きながら、僕の“ご主人様に対する思いの丈”に耳を傾けて下さいました。
ご主人様のおそばにいるだけで心が癒されます。
親子ほども年齢差がありながら、まるで幼い子供が母親と共にいるような安心感があるのです。
これが女王様の“包容力”なのでしょう。
そしてご自身でも色々な事をお話しして下さいました。
愛犬の事を語りながら相好を崩され、ご趣味のお話では目を輝かせられます。 SMクラブにお勤めになった経緯を教えて下さり、配下のM男達への思いを語られます。 絵が素晴らしくお上手な事も初めて知りました。
そして昨年、4年間お勤めになったSMクラブをお辞めになった理由をお話し下さいました。
お店を離れてプライベートでもSMを楽しまれるようになった事で、お仕事としてのSMとの間にはっきりとテンションに差ができてしまったのだそうです。
新規のお客さんに対する不安や、お客さんの嗜好に合わせなければならない事に疲れて果ててしまった・・・
「そんな気持ちを抱きながらお客さんに接するのは申し訳ない、プロの女王様としてどうなんだろう?」と悩まれた結果、退店する事をご選択されたようです。
友人のS女性が言っていた事は、中らずと雖も遠からず と言ったところでしょうか…
そしてご主人様がお考えになられている奴隷の定義を教えて頂きました。
その上で改めてご主人様のお口から、「ムギは間違いなく、私にとって唯一の奴隷だから!」と、はっきりと仰って頂いたのです。 昨年から僕が抱いてきたわだかまりは一瞬にして氷解しました。
思えば“奴隷”という、マゾヒストにとって最高に名誉ある称号を頂きながら、それ以上何を求める事があるのでしょうか?
“奴隷”が”M男”に嫉妬するなど愚かな事です。
最後に他人には打ち明けにくい、ごくプライベートなことまでお話頂き、僕はご主人様にとって心を許して頂ける存在になれた事を実感しました。
これまでご主人様に対して、なんとなく虚像を崇拝しているような感覚に陥る事もあったのですが、ボンヤリとしていた輪郭がはっきりと見えてきた事によって、親近感が増し、逆に崇拝心も深まったような気がしました。
いつもはホテルの部屋で平伏してご主人様をお見送りした後、帰り支度を始めるのですが、その日はご一緒にホテルを出る事にしました。
駅へと向かう道すがら、選挙ポスターの掲示板を横目に、僕は何気なくご主人様にお訪ねしました。
「選挙へは行かれるのですか?」
するとご主人様は、「もちろん行くよ。 たとえ支持政党が無くて白票を投じたとしても、自分の意志だけは伝えに行く。」と仰ったのです。
そのお言葉を聞いて、僕はご主人様の意外な一面を見たような気がしました。
女優などして頂かなくとも、“等身大”のご主人様もとても魅力的な女性でした。
駅の構内でお別れのご挨拶をし、改札に向かわれるご主人様の後ろ姿を見送りながら、僕は奴隷として、こんなにも素敵な女性にお仕え出きる幸せを痛感したのでした。
そして、これからもずっと死ぬまでおそばに置いて頂き、ご主人様に僕のマゾ人生の最期を看取って頂きたいと心から願ったのでした。
少し長くなりますが、以下に引用します。
「マゾヒストは女性に虐待されることを喜ぶけれども、その喜びはどこまでも肉体的、官能的のものであって、毫末も精神的の要素を含まない。 人或はいわん、ではマゾヒストは単に心で軽蔑され、翻弄されただけでは快感を覚えないのか。 手を以て打たれ、足を以て蹴られなければ嬉しくないのかと。 それは勿論そうとは限らない。 しかしながら、心で軽蔑されるといっても、実のところはそういう関係を仮に拵え、あたかもそれを事実である如く空想して喜ぶのであって、言い換えれば一種の芝居、狂言に過ぎない。 何人といえども、真に尊敬に値いする女、心から彼を軽蔑する程の高貴な女なら、全然彼を相手にするはずがないことを知っているだろう。
つまりマゾヒストは、実際に女の奴隷になるのではなく、そう見えるのを喜ぶのである。 見える以上にほんとうに奴隷にされたならば、彼らは迷惑するのである。 故に彼らは利己主義者であって、たまたま狂言に深入りをし過ぎ、誤って死ぬことはあろうけれども、自ら進んで、殉教者の如く女の前に身命を投げ出すことは絶対にない。 彼らの享楽する快感は、間接または直接に官能を刺戟する結果で、精神的の何物でもない。 彼等は彼等の妻や情婦を、女神の如く崇拝し、暴君の如く仰ぎ見ているようであって、その真相は彼等の特殊なる性慾に愉悦を与うる一つの人形、一つの器具としているのである。」
“ほんとうに奴隷にされたならば、彼らは迷惑するのである”というくだりは、何度読んでもおかしくて笑ってしまいます。 なんとも身も蓋もない内容ですが、ほとんどのM男性の心理を言い当てているような気がします。
文中では彼等と呼んでいますが、もちろんこれは谷崎本人の女性に対する心情を吐露したものだと思います。
彼は、さらにこう続けます。
「人形であり器具であるからして、飽きの来ることも当然であり、より良き人形、より良き器具に出遭った場合には、その方を使いたくなるでもあろう。 芝居や狂言はいつも同じ所作を演じたのでは面白くない。 絶えず新奇な筋を仕組み、俳優を変え、目先を変えて、やってみたい気にもなるであろう。」
これはまさにご主人様と出会う前の僕の姿そのものです。 理想の女王様を求めてさまよっていた頃は、 女性を取っ替え引っ替えしていました。 理想の女王様に巡り合えたと思ってしばし立ち止まったとしても、女性側の事情で続かない、あるいは理想とは違っていた事がわかり、再び次を求めてさまよう…そんな事を繰り返してきました。
当時の僕は女性崇拝の精神のかけらも持ち合わせていなかったように思います。
女王様はM男の傀儡、 マゾヒズムは壮大なる茶番劇。
何を今さらわかりきった事をと思われるでしょうが、僕はご主人様の奴隷にして頂いてから、少しだけこの考えに異論を唱え反発してきました。
だから最近、友人である一般S女性に 改めて女性の目線からこの事を指摘されて、ちょっと傷ついてしまったりしたのでした。
彼女曰く
「M男性は偶像を見せている女王様の言葉を信じ過ぎる。 彼女たちは清濁併せ呑んで、苦しさを隠して女優をやっているのだ…」と。 そして「彼女達はM男とホテルで2人きりでいる事をきついと思っている」と、女王様の本音まで明かしてくれました。
もちろん僕だって30年以上もM男をやっていますから、女王様に夢を見させて頂いている事ぐらい百も承知しています。
僕のような変態の妄想に付き合って下さっている女王様の存在には、ただただ感謝の念しかありません。
5年前、僕はご主人様と、とあるSMクラブで出会いました。 ネットで見つけたご主人様のプロフ写真に魅せられて、5年のブランクを経て復帰したのです。
このブログにも何度も書いていますが、ご主人様とお店でプレイをしていた頃、僕はこれまでお会いしてきた女王様と同様にストーリープレイをお願いしていました。
物語の設定からプレイ内容、プレイの順番、鞭打ちやビンタ、足蹴りの回数まで毎回詳細なシナリオを用意し、ご主人様には僕の考えた妄想劇場の主演女優をお願いしてきたわけです。
初めて、残りのマゾヒスト人生を捧げてもいいと思える理想の女王様と巡り会いながらも、相変わらずそんな状況が続いていました。
出会いから1年半が過ぎた頃、ご主人様から誘われる形で、僕とご主人様はお店を離れて会うようになりました。
その頃から僕の気持ちに少しずつ変化が生じてきたのです。
それまで女性に跪きたい、奴隷になりたいなどとは露ほども考えた事がなかった自分が、ご主人様を崇め、主従関係を結びたいと強く願うようになりました。
女王様に似つかわしくない優しい面立ち、女性らしい言葉使いや立ち居振る舞い、柔和ながらもしっかりとしたご性格、頭の回転の速さ、加虐を心から楽しまれているご様子。 どれもが僕を魅了しました。
崇拝するに相応しい女性が、初めて僕の目の前に立ちはだかったのです。
この先、自分にとって彼女以上の最良のドミナと出会う事は、二度とないだろう。
僕はご主人様をM人生最後のドミナとする事を、勝手に決めさせて頂きました。
それはエゴマゾが、初めて女性の前に跪いた瞬間でした。
そして「妄想劇場はもう終わりにしたい。 ご主人様に全権を委ね、真の奴隷の姿に少しでも近づきたい。」と思うようになりました。
もちろん僕だってご主人様に軽蔑されたいとは思っていませんし、谷崎の言うように厳密には本物の奴隷とは言えないかも知れません。 でも、ご主人様の事を、“特殊なる性慾に愉悦を与うる一つの人形、一つの器具”として扱うのだけはやめて、絶対服従の精神で尽くしたいと思いました。
これまでのようなわがままな振る舞いは排除して、今後はご主人様の色に染めて頂きたい。 そう本気で考え、奴隷契約書を交わしたのです。
僕は元々キングオブ エゴマゾですから、ああして欲しいこうして欲しいと思う気持ちは沢山あります。
なので、それ以来ずっと自己の欲望との葛藤が続いていました。
そんな中で、友人のS女性に改めて言われた“女王様=女優”発言に僕は大きな虚無感を感じてしまったのです。
茶番劇はどこまで行っても茶番劇でしかありえないのだろうか?
結局のところ、やせ我慢をしながら女優不在の一人芝居を続けていたのではなかったかと。
実は体裁が悪いのでブログに書くことを控えていましたが、昨年末から、ご主人様との主従関係に微妙なすれ違いが生じ、様々な事情も重なって4ヶ月半の間、ご調教の休養を頂いていました。
そして、なんとなくモヤモヤした心が晴れないままに、この4月、奴隷として復帰させて頂いたばかりだったのです。
そのあまりにも しょーもない理由に“エゴマゾはいくらあがいても所詮エゴマゾでしかない”と自己嫌悪に陥っていた最中でもありました。
恥ずかしいので詳細は書きたくはありませんが、簡単に言ってしまえば、自ら最下層の奴隷の地位を望みながら、ご主人様が他のM男と仲良くしているのを羨んで嫉妬に狂ってしまったというようなことです。
ご主人様に「見返りを求めない愛を捧げたい」などと、散々もっともらしい事を口にしてきながらこのざまです。
休養中、ご主人様からは沢山の温かいお言葉をかけて頂きました。
「ムギがどう思おうと仕方ないけど、私の愛情だけは疑わないでね。それだけは約束だよ。」
もったいないお言葉、とても嬉しかったです。
僕は、ご主人様の奴隷にして頂いてから、毎日、飽きずにご主人様の事ばかりを考えていました。
寂しくなると、剃毛の跡や焼印やペニスを覆う貞操帯を眺め、常にご主人様と共にあると思う事で孤独を紛らわせてきました。
しかし、お会いできるのはせいぜいが月に一回。 時間にしてわずか5〜6時間足らず、密室でのご調教の時だけです。
ご主人様のお足元に平伏してご調教を受けている間は幸福感に包まれているのですが、帰宅すると途端に言い知れぬ孤独感に苛まれ、そのうち涙が溢れ出て止まらなくなりました。
「ご主人様は今ごろ何をされているのだろう? 誰と会ってどんなプレイを楽しまれているのだろうか?」
そんな事ばかりが頭を掠めます。
これまで僕は、奴隷として、崇拝するご主人様との“距離感”を大切に考えてきました。
そんな中で、他のM男たちと友人のように親しげにされているご主人様のご様子を知って、心を掻き乱され、軽い失望感を味わっていたのでした。
聖域を踏み荒らされているようなやりきれない思い。 僕は自己のマゾヒズムに対する情熱をも失いかけていました。
そんな苦悩の日々を過ごす中、友人のS女性は精神的な面でずっと僕を支えてくれていました。
彼女は「もう5年にもなるのだから、ここらでご主人様と奴隷ではなく、対等の関係で人と人の繋がりを深めていってほしい。 ご主人様とこの先、10年20年と関係を続けていきたいなら良い機会なのではないか…」と、ご主人様とのお話し合いを提案してくれました。
僕が非日常的な部分でご主人様に傾倒し過ぎているのを側から見ていて、違和感を感じていたそうです。
そういえば、以前ご主人様にも「ムギは“自分の中の私”を見過ぎ!」とご注意を受けた事がありました。
僕ははたと思いました。
もしかしたら… ご主人様は、僕が作り上げた偶像を壊さないように、今でもずっと女優を続けて下さっているのではないのか!?と。
僕が知らず知らずのうちにそう仕向けていたのではなかったのか!? と。
もし、そうだとしたら、なんと滑稽な事だろうか…
振り返ってみると、これまでご主人様とは、あまり本音で語り合った事はありませんでした。
お店のお客さんだった頃に比べれば、お互いの事をお話しする機会は増えたけれど、当たり障りのない話ばかりに終始していました。
考えてみたら、僕はご主人様の事を何一つ知らなかったのです。
ここのところ、僕はあまりご調教を受ける気分ではなかったので、ご主人様に、ご調教の時間を少し削ってお話ししたい旨を伝え、快諾して頂きました。
そして、ホテルの部屋でご主人様と初めて膝を突き合わせ、お酒を頂きながら2時間ほどお話をさせて頂いたのです。
ご主人様は僕の目を見つめ、何度も頷きながら、僕の“ご主人様に対する思いの丈”に耳を傾けて下さいました。
ご主人様のおそばにいるだけで心が癒されます。
親子ほども年齢差がありながら、まるで幼い子供が母親と共にいるような安心感があるのです。
これが女王様の“包容力”なのでしょう。
そしてご自身でも色々な事をお話しして下さいました。
愛犬の事を語りながら相好を崩され、ご趣味のお話では目を輝かせられます。 SMクラブにお勤めになった経緯を教えて下さり、配下のM男達への思いを語られます。 絵が素晴らしくお上手な事も初めて知りました。
そして昨年、4年間お勤めになったSMクラブをお辞めになった理由をお話し下さいました。
お店を離れてプライベートでもSMを楽しまれるようになった事で、お仕事としてのSMとの間にはっきりとテンションに差ができてしまったのだそうです。
新規のお客さんに対する不安や、お客さんの嗜好に合わせなければならない事に疲れて果ててしまった・・・
「そんな気持ちを抱きながらお客さんに接するのは申し訳ない、プロの女王様としてどうなんだろう?」と悩まれた結果、退店する事をご選択されたようです。
友人のS女性が言っていた事は、中らずと雖も遠からず と言ったところでしょうか…
そしてご主人様がお考えになられている奴隷の定義を教えて頂きました。
その上で改めてご主人様のお口から、「ムギは間違いなく、私にとって唯一の奴隷だから!」と、はっきりと仰って頂いたのです。 昨年から僕が抱いてきたわだかまりは一瞬にして氷解しました。
思えば“奴隷”という、マゾヒストにとって最高に名誉ある称号を頂きながら、それ以上何を求める事があるのでしょうか?
“奴隷”が”M男”に嫉妬するなど愚かな事です。
最後に他人には打ち明けにくい、ごくプライベートなことまでお話頂き、僕はご主人様にとって心を許して頂ける存在になれた事を実感しました。
これまでご主人様に対して、なんとなく虚像を崇拝しているような感覚に陥る事もあったのですが、ボンヤリとしていた輪郭がはっきりと見えてきた事によって、親近感が増し、逆に崇拝心も深まったような気がしました。
いつもはホテルの部屋で平伏してご主人様をお見送りした後、帰り支度を始めるのですが、その日はご一緒にホテルを出る事にしました。
駅へと向かう道すがら、選挙ポスターの掲示板を横目に、僕は何気なくご主人様にお訪ねしました。
「選挙へは行かれるのですか?」
するとご主人様は、「もちろん行くよ。 たとえ支持政党が無くて白票を投じたとしても、自分の意志だけは伝えに行く。」と仰ったのです。
そのお言葉を聞いて、僕はご主人様の意外な一面を見たような気がしました。
女優などして頂かなくとも、“等身大”のご主人様もとても魅力的な女性でした。
駅の構内でお別れのご挨拶をし、改札に向かわれるご主人様の後ろ姿を見送りながら、僕は奴隷として、こんなにも素敵な女性にお仕え出きる幸せを痛感したのでした。
そして、これからもずっと死ぬまでおそばに置いて頂き、ご主人様に僕のマゾ人生の最期を看取って頂きたいと心から願ったのでした。