やらせマゾからの脱却
公共放送にやらせ疑惑が浮上し、クローズアップされています。
昨今ではやらせを強要された一般人が、SNSなどを通じて暴露するケースも増えてきました。
川口浩探検隊の昔からTV業界にやらせが多いことは薄々気づいてはいましたが、ニュース番組の街頭インタビューに答える一般人の映像にすら、エキストラが仕込まれていると知った時はちょっとした衝撃でした。
ドキュメンタリーやニュース、バラエティ、情報番組等々、ジャンルや内容の硬軟に関わらず、業界では過剰演出やヤラセがごく当たり前のように行われているようです。
“興味を引ければなんでもあり”という視聴率至上主義がテレビをつまらなくし、視聴者離れを加速させている事に業界人はそろそろ気がつくべきでしょう。
「マゾヒズムに花束を!」の最近のエントリーでは、このヤラセ問題に絡めてSMの虚構性について語られています。
SMは“マゾヒストが意図する結論なり予定調和が想定されている一種のやらせである”とマゾ花の管理人homerさんは分析しています。 homerさんは自らを仮性マゾと位置づけ、常に一歩引いた冷静な目線でご自分の性癖を見つめられているようです。
実はこれは僕にとって、とてもタイムリーな話題でした。
ご主人様との主従関係において、できるだけこのやらせ臭を排除したいと苦悩していたからです。
確かにSMプレイは、M男性の妄想を具現化するためのやらせに過ぎないのかもしれません。
そこには女王様の意図よりもM男性の意向が色濃く反映されています。 女王様がイニシアティブを握っているようで実はM男性の側がコントロールしているという図式は、マゾ花で過去に何度も語られています。 homerさんはこれを茶番劇と呼んでいます。
ゼヴェリーンがワンダを自分好みのドミナに仕立て上げたように、M男性はSMクラブの女王様に理想のS像を演じてもらいたいと望んでいるのです。
もう一年以上前になりますが、ある女王様のTweetが今も心に残っています。
「また会いたいな、このマゾ好きだなって変態は悲しきかな別の女王様に通ってしまってたりする。選ぶのはM男側。」
「私に飽きたり至らないとこがあればすぐにどっかいっちゃう。主従関係って簡単に壊れちゃったりする。短くて一時間。寂しいし嫉妬しちゃうし、むかつく。」
そんな風に自らの思いを呟いていらっしゃいました。
営業的な関わりとは別の、女性らしい感情を吐露したこの女王様の呟きが僕にはとても可愛らしく愛おしく思えました。
これまで女王様のこうした心情に目を向けた事はなかったので意外にも思えましたが、この呟きにもM男側に選択権や主導権がある事に対する矛盾や苛立ちが伺えなくもありません。
しかし、これは致し方ないことだとも思います。 SMクラブはM男性のファンタジーを実現するテーマパークのようなものです。 ここではM男がゲストで女王様はあくまでキャストなのです。
茶番劇であるからこそ女優である女王様選びはより重要なのかもしれません。 好みの容姿であるか、自分との相性は合うか。 どんなSM観を持っていて、プレイのスキルや質、サービス精神はどうなのか?
事前のカウンセリングやストーリープレイにおけるシナリオなどは全てM男性の願望をスムーズに実現する為の段取りに他なりません。
熟練した女王様は、言葉責めによるコミュ力や鋭い観察眼でM男性の願望を見極め、苦痛に対する許容度を探りながらスムーズにプレイを進行していくのでしょう。
時には慎重を期する為に、事前にセーフティーワードを設定したりもします。 全てのお膳立てが整っていれば、M男性も安心して女王様に身を委ねる事ができるわけです。
演出家気取りのM男は自分の思わくどおりに事が運ばなかった場合、その女王様を“地雷”認定します。 そして女王様はあまりにも自分本位なM男を“エゴマゾ”と呼んで嫌うのです。
僕はかつてプレイの内容や進行、時間配分まで事細かく女王様に指示を出していました。 たとえば鞭打ちの場合、強弱のつけ方から打つ部位、回数に至るまで指定するといった具合です。
シナリオを持参すると「やって欲しいことを全部書いてきてもらえて助かる」と喜んでくださる女王様もいれば、「これ全部順番通りにやるの?」と半ば呆れられる女王様もいました。
僕はまさにやらせマゾ、エゴマゾそのものだったのです。 全てが予定調和であり、ハプニングは起こりません。
お相手の女王様がどう思われていたのかはともかく、僕はそれで充分満足していました。
すでに自分なりのMの世界観が確立されていて、そこから外れることを極端に嫌っていたのです。
当時の僕は、主従関係には興味がなかったので、SMに精神性は求めていませんでした。 ですから裏返せば鞭打ち一つとっても深いところまで踏み込めずにいたのだと思います。
時間制限や細かいルールに縛られ、女王様の入れ替わりも激しいSMクラブでの主従関係には限界があります。 僕が専らストーリープレイを行ってきたのも、ある意味合理的な選択だったと言えるかもしれません。
そして多くのM男性達はかつての僕と同様に、束の間の非日常感に浸ることができればそれで満足し、再び現実の世界へと戻っていくのだと思います。
以前homerさんがご主人様と僕の関係を「あまりにも素晴らしすぎる女王様と巡り会うのも、奇跡にも似た災難と言えるのかも・・・」と表現されていました。 災難かどうかはさておき(笑)、僕はご主人様と巡り会ったことでそれまでと考え方が一変し、“非日常に留まり続けたい”と願うようになりました。 そして現実的に日常と非日常の境界がとても曖昧になってきたのです。
ご主人様に初めて「専属奴隷になりたい」という願いをお伝えした時、ご主人様は「専属はM男にとってはマイナス面の方が多いわよ。 女王様の好きな事ばかりやられちゃうから。」と仰いました。 自分の妄想や欲望ばかり優先していた僕をけん制されたのかもしれません。
しかし、それからほどなくして僕はご主人様の足下に跪いていました。 僕は頭を床に擦りつけながら、自分自身の心境の変化にとても驚いていました。
それまで出会った女王様達との関係性と決定的に違う事。 それは僕が、ご主人様に熱烈に恋をしてしまったという事でしょうか。
好きな女性の為に尽くしたい。好きな女性に喜んで頂きたい。
思春期のようなピュアな恋心がどんどん膨らんでいき、やがてご主人様を崇拝の対象として捉えるようになりました。
そして生まれて初めて、目の前の麗しい女性の奴隷になりたいと思い詰めるようになったのです。
支配者に対する敬意や崇拝心があってこそ初めて真の主従関係は構築されます。 それを教えて下さったのは、ご主人様でした。
ご主人様好みの奴隷になりたい。その為には自分の欲望は二の次でも構わない。
奴隷契約書を締結してから、僕は全ての権限をご主人様に移譲しました。 シナリオを捨て、プレイと呼ぶのはやめて、ご主人様のご命令に従うことを第一に考えるようになったのです。 調教時間や調教内容、調教の流れは全てご主人様が主導されるようになりました。
しかし、それでもなお、そこはかとなく漂うやらせ臭。
ある時、ご主人様が大きなレジ袋を抱えられてホテルにお出でになりました。 僕は「いつもより豪勢なお食事かな」と思って、特に気にも停めませんでした。
ご調教の半ば、僕はラップで全身をグルグル巻きに拘束されて床に転がされていました。
ご主人様はベッドに腰掛けて、何をされるのか分からずに不安そうな表情を浮かべている僕を突き放すような視線で見下ろされています。
そして先ほどのレジ袋の中から大きめサイズのプレーンヨーグルトを取り出されるとお口一杯に含まれ、僕の顔めがけて吐き出されたのです。
ビシャビシャと飛沫を上げながら、ご主人様の唾液を含んだ高貴な液体が僕の顔面を覆います。 いつも咀嚼物を頂く時は的確に口の中に落として下さるので、様子が違うことはすぐに察しました。
僕は口の周辺に溜まった分だけでも飲み込もうと懸命に舌と口を動かしました。
しかし、すかさず次の攻撃が僕の顔面を襲います。
「どうしたの?私から頂くエサが食べられないの! ?︎」
ご主人様の楽しそうな笑い声が聞こえてきます。
飲み込む間も与えられず、次から次へと早い勢いで吐き出されるヨーグルト。
目や耳や鼻の穴にも容赦なく入り込んできて、僕は息苦しさにもがいていました。
ご主人様はそんなことはお構いなしに、容器を傾けて残っている分を直接僕の顔にかけ始めます。
僕は頭を起こして首を振り、顔面を覆ったヨーグルトを振り落とそうと必死に抵抗しました。
すると今度は袋から大きなトマト缶を取り出して開封され、止めを刺すようにそれを至近距離から僕の顔面にブチまけられたのです。
バシャバシャバシャ!
酸味の強い液体と潰れたトマトが顔中にまとわりつき、額や髪や首筋を不快な感覚が伝います。
「ブハァ、お、溺れる!!」
僕は陸に上がった魚のように不自由な身体をくねらせ、口をパクパクさせました。
粗相ばかりで役立たずの奴隷が、ご主人様のお手によって処分される瞬間が訪れたのでしょうか?
目に染みて視界はぼやけ、ご主人様の表情はよく分かりません。 そのことが僕を一層不安にさせました。 舌を動かし呼吸を確保するのがやっとの状態だったのです。
やがてご主人様の責めが止み、力尽きた僕は荒い息づかいで薄目を開けてボンヤリと天井を眺めていました。
ご主人様は、そんな僕を覗き込むようにして
「お前は私の専属奴隷と言いながら、結局自分の好きな事ばかりやってもらってるじゃない!奴隷なら私のやりたい事も受け入れなさい! !︎」と叱責されたのです。
僕はそのお言葉に衝撃を受け、返す言葉もありませんでした。
その後 拘束から解放され、茫然自失のままシャワーを浴びにバスルームへと向かいました。
確かにそうなのです。それは僕が元々はSMクラブの客で、現在の調教も当時のプレイの延長線上にあるからなのだと思います。 ご主人様は僕のMのツボを熟知されており、調教もそこを責めることが基本になっています。
突然のハプニングとその後のご主人様のご発言によって、僕は現実に引き戻されました。
調教というのは本来、支配する側が奴隷を自分好みに飼い慣らす為に行われるものです。 ご主人様がご不満を感じられるのも無理はありません。
僕は奴隷としての意識改革を迫られていました。
ご主人様のご意思によるご主人様主導のご調教を展開して頂きたい。
ゲストだった時のような、独りよがりの暴走だけは慎みたい。
しかし、ご主人様も一本鞭や火責め等のご調教を楽しんで下さっているのは事実だと思います。 最初は僕のシナリオに動かされていたかもしれませんが、ご主人様のスキルアップによって、今では僕の方がやっとの思いでついていっているような状態です。 ご本人からもこれらはお気に入りの調教だと言って頂いています。
もちろん僕の方も、ご主人様が必要と思われるご調教を受け入れる覚悟はあります。 WAMは僕にとって初めての経験でしたが、予定調和から外れた調教は新鮮な驚きと喜びがありました。
ご主人様の奴隷にして頂いてから、僕はマゾヒストとして常に成長を遂げたいという思いが芽生えました。
これまで苦手としていたアナルや尿道責めなどの調教もご主人様からお受けできれば必ず克服できると思うのです。
しかし僕はマゾヒストである前にご主人様の奴隷ですから、ご主人様がそれらの調教を望まれないのであれば仕方ありません。
僕の方もエゴマゾを返上しようと少しずつではありますが、自己改革に取り組んでいるのです。
例えば苦痛が自分の限界点を超えても、音を上げないよう歯を食いしばって踏ん張るようになりました。
以前、ご主人様は「マゾの許容を少し超えるくらいまで責めると自分の奴隷という感じがするね」と仰っていました。
マゾが自分のために頑張ってくれているとドミナとしての自覚や喜びが湧くのでしょう。 しかし、ゲストが相手だと常にやり過ぎてしまわないよう配慮が必要になります。
僕が真の奴隷を目指すならここは頑張らなければならないところです。
次に、ご主人様の生理的欲求に従って人間便器としてご使用頂いている事は前項にも書いた通りです。 クラブ通いの頃は黄金プレイのオプションを付けさせて頂いていましたが、奴隷のために排便の調整をして頂くということには違和感を覚えます。 ゲストだった頃はそんなことすら気がつきませんでした。
現在、小用としてはストレスなくお使い頂けていると思いますが、大用としてはまだまだ多くの課題が残されています。 より快適な専用便器としてご使用頂けるよう精進したいと思います。
また、ご主人様は奴隷の口や舌を使ったご奉仕は好まれません。
ドミナが望んでいないことをご奉仕と呼んで強要するのはやらせと言えるかもしれません。 ですから現在はご使用済みの膣洗浄水や、おみ足を洗浄した後のお湯などを飲ませて頂いています。
ただ、僕はコアな足フェチなのでご主人様の魅力的なおみ足を前にして、どうにも我慢ができなくなる時があります。
奴隷の唾液でご主人様を穢したくないという思いと自らの性癖の間で激しく葛藤し、苦悩しているのです。 そんな時は洗浄前に片足の親指だけ舐める事をお許し頂いてます。
ご主人様のお履物の裏を舌で清掃させて頂く事でご奉仕の喜びを得られるようになればエゴマゾ卒業も近いのでしょうか。
さて、そんな未熟な奴隷の僕がご主人様に対して唯一ご奉仕と呼べるのは、心を込めて全身マッサージをさせて頂く事です。 これは毎回大変お喜びを頂いています。
ご主人様からお褒めの言葉を授かると、“奴隷としてお役に立てたのだ”という望外の喜びに包まれます。
鞭打ちやケイン、性器責め等のご調教で、僕が苦しみながら必死で耐えているとご主人様は心の底から楽しそうにして下さいます。 その笑顔や笑い声が励みになってもっと頑張ろうという気持ちが湧き起こってくるのです。
そう、ご主人様のお喜びこそが奴隷の喜びなのです。そしてこのお喜びが奴隷の成長を支えて下さっています。
ここに主従関係の不変の真理があるような気がします。
他のドミナがお相手だったら音を上げてしまうような厳しいご調教でも、ご主人様だから頑張れるのです。
今 僕はやらせマゾから脱却するために足掻いています。
やらせを全否定してしまったらSMは成り立たないことはわかっていても、僕には少しでもリアルな奴隷に近づきたいという思いがあります。 そして、その事をご主人様も受け止めて下さっています。
自己本位な欲望を抑えご主人様のご意志を尊重する気持ちを持つことで、少しずつですが主従関係の形ができ上がってきているような気がするのです。
僕は単なるやせ我慢をしているだけに過ぎないのかもしれません。 あるいは別の形で自己の被虐願望を充足させていると捉えることもできるでしょう。 はたから見ればこれらも全て茶番に映り、滑稽に思えるかもしれません。
それでも僕は様々な矛盾を抱えつつ、今後もやらせマゾから脱却したいと足掻き続けると思います。
そこには大切なご主人様への思いがあるのです。
ご調教の日程が決まると、毎回ご主人様から「すごく楽しみにしてる♩」というありがたいお言葉を頂いています。 そしてご調教が終わった後も「とても楽しかったね!」というメールを下さいます。
ドミナと奴隷の双方がご調教を最大限に楽しんでいるという事はとても重要なことだと思います。 マゾヒストとして生まれた僕にとって、ご調教はM修行の場であり、ご主人様と愛情を交換する機会であり、唯一の生きがいであります。
“ご主人様のお喜びは奴隷の喜び! !︎”
今後もこの思いを深く胸に刻んでご主人様の奴隷として生きていきたいと思っています。
昨今ではやらせを強要された一般人が、SNSなどを通じて暴露するケースも増えてきました。
川口浩探検隊の昔からTV業界にやらせが多いことは薄々気づいてはいましたが、ニュース番組の街頭インタビューに答える一般人の映像にすら、エキストラが仕込まれていると知った時はちょっとした衝撃でした。
ドキュメンタリーやニュース、バラエティ、情報番組等々、ジャンルや内容の硬軟に関わらず、業界では過剰演出やヤラセがごく当たり前のように行われているようです。
“興味を引ければなんでもあり”という視聴率至上主義がテレビをつまらなくし、視聴者離れを加速させている事に業界人はそろそろ気がつくべきでしょう。
「マゾヒズムに花束を!」の最近のエントリーでは、このヤラセ問題に絡めてSMの虚構性について語られています。
SMは“マゾヒストが意図する結論なり予定調和が想定されている一種のやらせである”とマゾ花の管理人homerさんは分析しています。 homerさんは自らを仮性マゾと位置づけ、常に一歩引いた冷静な目線でご自分の性癖を見つめられているようです。
実はこれは僕にとって、とてもタイムリーな話題でした。
ご主人様との主従関係において、できるだけこのやらせ臭を排除したいと苦悩していたからです。
確かにSMプレイは、M男性の妄想を具現化するためのやらせに過ぎないのかもしれません。
そこには女王様の意図よりもM男性の意向が色濃く反映されています。 女王様がイニシアティブを握っているようで実はM男性の側がコントロールしているという図式は、マゾ花で過去に何度も語られています。 homerさんはこれを茶番劇と呼んでいます。
ゼヴェリーンがワンダを自分好みのドミナに仕立て上げたように、M男性はSMクラブの女王様に理想のS像を演じてもらいたいと望んでいるのです。
もう一年以上前になりますが、ある女王様のTweetが今も心に残っています。
「また会いたいな、このマゾ好きだなって変態は悲しきかな別の女王様に通ってしまってたりする。選ぶのはM男側。」
「私に飽きたり至らないとこがあればすぐにどっかいっちゃう。主従関係って簡単に壊れちゃったりする。短くて一時間。寂しいし嫉妬しちゃうし、むかつく。」
そんな風に自らの思いを呟いていらっしゃいました。
営業的な関わりとは別の、女性らしい感情を吐露したこの女王様の呟きが僕にはとても可愛らしく愛おしく思えました。
これまで女王様のこうした心情に目を向けた事はなかったので意外にも思えましたが、この呟きにもM男側に選択権や主導権がある事に対する矛盾や苛立ちが伺えなくもありません。
しかし、これは致し方ないことだとも思います。 SMクラブはM男性のファンタジーを実現するテーマパークのようなものです。 ここではM男がゲストで女王様はあくまでキャストなのです。
茶番劇であるからこそ女優である女王様選びはより重要なのかもしれません。 好みの容姿であるか、自分との相性は合うか。 どんなSM観を持っていて、プレイのスキルや質、サービス精神はどうなのか?
事前のカウンセリングやストーリープレイにおけるシナリオなどは全てM男性の願望をスムーズに実現する為の段取りに他なりません。
熟練した女王様は、言葉責めによるコミュ力や鋭い観察眼でM男性の願望を見極め、苦痛に対する許容度を探りながらスムーズにプレイを進行していくのでしょう。
時には慎重を期する為に、事前にセーフティーワードを設定したりもします。 全てのお膳立てが整っていれば、M男性も安心して女王様に身を委ねる事ができるわけです。
演出家気取りのM男は自分の思わくどおりに事が運ばなかった場合、その女王様を“地雷”認定します。 そして女王様はあまりにも自分本位なM男を“エゴマゾ”と呼んで嫌うのです。
僕はかつてプレイの内容や進行、時間配分まで事細かく女王様に指示を出していました。 たとえば鞭打ちの場合、強弱のつけ方から打つ部位、回数に至るまで指定するといった具合です。
シナリオを持参すると「やって欲しいことを全部書いてきてもらえて助かる」と喜んでくださる女王様もいれば、「これ全部順番通りにやるの?」と半ば呆れられる女王様もいました。
僕はまさにやらせマゾ、エゴマゾそのものだったのです。 全てが予定調和であり、ハプニングは起こりません。
お相手の女王様がどう思われていたのかはともかく、僕はそれで充分満足していました。
すでに自分なりのMの世界観が確立されていて、そこから外れることを極端に嫌っていたのです。
当時の僕は、主従関係には興味がなかったので、SMに精神性は求めていませんでした。 ですから裏返せば鞭打ち一つとっても深いところまで踏み込めずにいたのだと思います。
時間制限や細かいルールに縛られ、女王様の入れ替わりも激しいSMクラブでの主従関係には限界があります。 僕が専らストーリープレイを行ってきたのも、ある意味合理的な選択だったと言えるかもしれません。
そして多くのM男性達はかつての僕と同様に、束の間の非日常感に浸ることができればそれで満足し、再び現実の世界へと戻っていくのだと思います。
以前homerさんがご主人様と僕の関係を「あまりにも素晴らしすぎる女王様と巡り会うのも、奇跡にも似た災難と言えるのかも・・・」と表現されていました。 災難かどうかはさておき(笑)、僕はご主人様と巡り会ったことでそれまでと考え方が一変し、“非日常に留まり続けたい”と願うようになりました。 そして現実的に日常と非日常の境界がとても曖昧になってきたのです。
ご主人様に初めて「専属奴隷になりたい」という願いをお伝えした時、ご主人様は「専属はM男にとってはマイナス面の方が多いわよ。 女王様の好きな事ばかりやられちゃうから。」と仰いました。 自分の妄想や欲望ばかり優先していた僕をけん制されたのかもしれません。
しかし、それからほどなくして僕はご主人様の足下に跪いていました。 僕は頭を床に擦りつけながら、自分自身の心境の変化にとても驚いていました。
それまで出会った女王様達との関係性と決定的に違う事。 それは僕が、ご主人様に熱烈に恋をしてしまったという事でしょうか。
好きな女性の為に尽くしたい。好きな女性に喜んで頂きたい。
思春期のようなピュアな恋心がどんどん膨らんでいき、やがてご主人様を崇拝の対象として捉えるようになりました。
そして生まれて初めて、目の前の麗しい女性の奴隷になりたいと思い詰めるようになったのです。
支配者に対する敬意や崇拝心があってこそ初めて真の主従関係は構築されます。 それを教えて下さったのは、ご主人様でした。
ご主人様好みの奴隷になりたい。その為には自分の欲望は二の次でも構わない。
奴隷契約書を締結してから、僕は全ての権限をご主人様に移譲しました。 シナリオを捨て、プレイと呼ぶのはやめて、ご主人様のご命令に従うことを第一に考えるようになったのです。 調教時間や調教内容、調教の流れは全てご主人様が主導されるようになりました。
しかし、それでもなお、そこはかとなく漂うやらせ臭。
ある時、ご主人様が大きなレジ袋を抱えられてホテルにお出でになりました。 僕は「いつもより豪勢なお食事かな」と思って、特に気にも停めませんでした。
ご調教の半ば、僕はラップで全身をグルグル巻きに拘束されて床に転がされていました。
ご主人様はベッドに腰掛けて、何をされるのか分からずに不安そうな表情を浮かべている僕を突き放すような視線で見下ろされています。
そして先ほどのレジ袋の中から大きめサイズのプレーンヨーグルトを取り出されるとお口一杯に含まれ、僕の顔めがけて吐き出されたのです。
ビシャビシャと飛沫を上げながら、ご主人様の唾液を含んだ高貴な液体が僕の顔面を覆います。 いつも咀嚼物を頂く時は的確に口の中に落として下さるので、様子が違うことはすぐに察しました。
僕は口の周辺に溜まった分だけでも飲み込もうと懸命に舌と口を動かしました。
しかし、すかさず次の攻撃が僕の顔面を襲います。
「どうしたの?私から頂くエサが食べられないの! ?︎」
ご主人様の楽しそうな笑い声が聞こえてきます。
飲み込む間も与えられず、次から次へと早い勢いで吐き出されるヨーグルト。
目や耳や鼻の穴にも容赦なく入り込んできて、僕は息苦しさにもがいていました。
ご主人様はそんなことはお構いなしに、容器を傾けて残っている分を直接僕の顔にかけ始めます。
僕は頭を起こして首を振り、顔面を覆ったヨーグルトを振り落とそうと必死に抵抗しました。
すると今度は袋から大きなトマト缶を取り出して開封され、止めを刺すようにそれを至近距離から僕の顔面にブチまけられたのです。
バシャバシャバシャ!
酸味の強い液体と潰れたトマトが顔中にまとわりつき、額や髪や首筋を不快な感覚が伝います。
「ブハァ、お、溺れる!!」
僕は陸に上がった魚のように不自由な身体をくねらせ、口をパクパクさせました。
粗相ばかりで役立たずの奴隷が、ご主人様のお手によって処分される瞬間が訪れたのでしょうか?
目に染みて視界はぼやけ、ご主人様の表情はよく分かりません。 そのことが僕を一層不安にさせました。 舌を動かし呼吸を確保するのがやっとの状態だったのです。
やがてご主人様の責めが止み、力尽きた僕は荒い息づかいで薄目を開けてボンヤリと天井を眺めていました。
ご主人様は、そんな僕を覗き込むようにして
「お前は私の専属奴隷と言いながら、結局自分の好きな事ばかりやってもらってるじゃない!奴隷なら私のやりたい事も受け入れなさい! !︎」と叱責されたのです。
僕はそのお言葉に衝撃を受け、返す言葉もありませんでした。
その後 拘束から解放され、茫然自失のままシャワーを浴びにバスルームへと向かいました。
確かにそうなのです。それは僕が元々はSMクラブの客で、現在の調教も当時のプレイの延長線上にあるからなのだと思います。 ご主人様は僕のMのツボを熟知されており、調教もそこを責めることが基本になっています。
突然のハプニングとその後のご主人様のご発言によって、僕は現実に引き戻されました。
調教というのは本来、支配する側が奴隷を自分好みに飼い慣らす為に行われるものです。 ご主人様がご不満を感じられるのも無理はありません。
僕は奴隷としての意識改革を迫られていました。
ご主人様のご意思によるご主人様主導のご調教を展開して頂きたい。
ゲストだった時のような、独りよがりの暴走だけは慎みたい。
しかし、ご主人様も一本鞭や火責め等のご調教を楽しんで下さっているのは事実だと思います。 最初は僕のシナリオに動かされていたかもしれませんが、ご主人様のスキルアップによって、今では僕の方がやっとの思いでついていっているような状態です。 ご本人からもこれらはお気に入りの調教だと言って頂いています。
もちろん僕の方も、ご主人様が必要と思われるご調教を受け入れる覚悟はあります。 WAMは僕にとって初めての経験でしたが、予定調和から外れた調教は新鮮な驚きと喜びがありました。
ご主人様の奴隷にして頂いてから、僕はマゾヒストとして常に成長を遂げたいという思いが芽生えました。
これまで苦手としていたアナルや尿道責めなどの調教もご主人様からお受けできれば必ず克服できると思うのです。
しかし僕はマゾヒストである前にご主人様の奴隷ですから、ご主人様がそれらの調教を望まれないのであれば仕方ありません。
僕の方もエゴマゾを返上しようと少しずつではありますが、自己改革に取り組んでいるのです。
例えば苦痛が自分の限界点を超えても、音を上げないよう歯を食いしばって踏ん張るようになりました。
以前、ご主人様は「マゾの許容を少し超えるくらいまで責めると自分の奴隷という感じがするね」と仰っていました。
マゾが自分のために頑張ってくれているとドミナとしての自覚や喜びが湧くのでしょう。 しかし、ゲストが相手だと常にやり過ぎてしまわないよう配慮が必要になります。
僕が真の奴隷を目指すならここは頑張らなければならないところです。
次に、ご主人様の生理的欲求に従って人間便器としてご使用頂いている事は前項にも書いた通りです。 クラブ通いの頃は黄金プレイのオプションを付けさせて頂いていましたが、奴隷のために排便の調整をして頂くということには違和感を覚えます。 ゲストだった頃はそんなことすら気がつきませんでした。
現在、小用としてはストレスなくお使い頂けていると思いますが、大用としてはまだまだ多くの課題が残されています。 より快適な専用便器としてご使用頂けるよう精進したいと思います。
また、ご主人様は奴隷の口や舌を使ったご奉仕は好まれません。
ドミナが望んでいないことをご奉仕と呼んで強要するのはやらせと言えるかもしれません。 ですから現在はご使用済みの膣洗浄水や、おみ足を洗浄した後のお湯などを飲ませて頂いています。
ただ、僕はコアな足フェチなのでご主人様の魅力的なおみ足を前にして、どうにも我慢ができなくなる時があります。
奴隷の唾液でご主人様を穢したくないという思いと自らの性癖の間で激しく葛藤し、苦悩しているのです。 そんな時は洗浄前に片足の親指だけ舐める事をお許し頂いてます。
ご主人様のお履物の裏を舌で清掃させて頂く事でご奉仕の喜びを得られるようになればエゴマゾ卒業も近いのでしょうか。
さて、そんな未熟な奴隷の僕がご主人様に対して唯一ご奉仕と呼べるのは、心を込めて全身マッサージをさせて頂く事です。 これは毎回大変お喜びを頂いています。
ご主人様からお褒めの言葉を授かると、“奴隷としてお役に立てたのだ”という望外の喜びに包まれます。
鞭打ちやケイン、性器責め等のご調教で、僕が苦しみながら必死で耐えているとご主人様は心の底から楽しそうにして下さいます。 その笑顔や笑い声が励みになってもっと頑張ろうという気持ちが湧き起こってくるのです。
そう、ご主人様のお喜びこそが奴隷の喜びなのです。そしてこのお喜びが奴隷の成長を支えて下さっています。
ここに主従関係の不変の真理があるような気がします。
他のドミナがお相手だったら音を上げてしまうような厳しいご調教でも、ご主人様だから頑張れるのです。
今 僕はやらせマゾから脱却するために足掻いています。
やらせを全否定してしまったらSMは成り立たないことはわかっていても、僕には少しでもリアルな奴隷に近づきたいという思いがあります。 そして、その事をご主人様も受け止めて下さっています。
自己本位な欲望を抑えご主人様のご意志を尊重する気持ちを持つことで、少しずつですが主従関係の形ができ上がってきているような気がするのです。
僕は単なるやせ我慢をしているだけに過ぎないのかもしれません。 あるいは別の形で自己の被虐願望を充足させていると捉えることもできるでしょう。 はたから見ればこれらも全て茶番に映り、滑稽に思えるかもしれません。
それでも僕は様々な矛盾を抱えつつ、今後もやらせマゾから脱却したいと足掻き続けると思います。
そこには大切なご主人様への思いがあるのです。
ご調教の日程が決まると、毎回ご主人様から「すごく楽しみにしてる♩」というありがたいお言葉を頂いています。 そしてご調教が終わった後も「とても楽しかったね!」というメールを下さいます。
ドミナと奴隷の双方がご調教を最大限に楽しんでいるという事はとても重要なことだと思います。 マゾヒストとして生まれた僕にとって、ご調教はM修行の場であり、ご主人様と愛情を交換する機会であり、唯一の生きがいであります。
“ご主人様のお喜びは奴隷の喜び! !︎”
今後もこの思いを深く胸に刻んでご主人様の奴隷として生きていきたいと思っています。